「劇団しようよアーカイブ Up to 2017」
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結成7年目となる私たちのあゆみを、
次回新作公演を行う1月21日まで記録写真とともに
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Youtubeにて劇団員によるコメント動画を公開中です!
コメント動画part1 10月31日公開
コメント動画part2 11月19日公開
結成7年目の劇団しようよが、久しぶりに新作公演に取り組むにあたり、
新入劇団員・徳泉が、これまでとこれからの劇団しようよについて話を聞いていきます!
徳泉:結成7年目の劇団しようよが、今回、劇団員と密に創る公演ということで、この七年間のことを聞いていきたいと思います。よろしくお願いします。
大原:よろしくお願いします。
徳泉:まず、2011年4月にアトリエ劇研にて第一回公演『めっちゃさちあれ』にて劇団を旗揚げされているんですが、吉見拓哉さんとはこのときから一緒に活動されているのですね。吉見さんとはどこでお知り合いになったのですか?
大原:吉見くんとは大学の同じクラスやったんです。二人とも芸大生だったんですが、僕が二年生の時に現代芸術のクラスに移ったんです。現代芸術のクラスはこの世に存在するものすべて素材みたいな考えのクラスで、だから僕は演劇をしようと思って。パフォーマンスみたいなことをしている友達も多くて。そこで吉見くんに出会った。もう出会って10年目ですね。
徳泉:なるほど、それで一緒に演劇をやろうよとなったのは、どうして…?
大原:劇団しようよを始める前に、学生時代にやってた劇団があったんですよ。そのときから吉見くんとは何度か一緒にやってて。
徳泉:そうなんですか。
大原:吉見くんに最初に声かけたのは僕なんですけど。彼はその時もバンドとかやってはって、それを知ってて興味はあったので声をかけてみました。でも、最初は音楽関係なく俳優としてオファーしたんですよ。僕と吉見くんと元カノの三人芝居とかやった。
徳泉:なるほど(笑)
大原:で、それを経て、次は吉見くんはミュージシャンやし、お芝居に音楽をつけてよって言って、4年生の夏休みに公演をやったんです。それが旗揚げ公演『めっちゃさちあれ』の半年前?だから、僕も吉見くんも、旗揚げ公演前にアトリエ劇研デビューしてたっていうわけですね。その公演が終わってから、劇団やる?って僕が聞いて、吉見くんもやるって答えて。お互い一秒も就職活動せずに、劇団旗揚げに向かって行ったんですね。
徳泉:じゃあ旗揚げ公演は、卒業直後になるわけですね。結果はどうでした…?
大原:いやあ……実はぜんぜんダメでした!実は2011年入った直後に失恋をしていて、ものすごい落ち込んでいた時期だったということもあって。うまく作品が創れなくて…。そのときも吉見くんに励まされて。劇団史に残るボロボロな公演でした。
徳泉:それでも半年後には『茶摘み』を、同じくアトリエ劇研でされているわけですが、あきらめずにやろうとなったのはどういう経緯ですか?
大原:この二つの公演の間には時間が空いているんですけど、実はこの間の時間がミソで。劇団しようよを旗揚げしてみたものの、最初の公演が良くなくって、どうしていこうかって吉見くんにも相談してて。僕は当時、俳優としてやっていたし、作・演出よりも出る方のモチベーションがあった。吉見くんは吉見くんでミュージシャンやし、そういう意味では二人ともパフォーマーやなと。で、そんな二人の創作方法を探るということで、路上パフォーマンスをやってみようということになったんです。
徳泉:そのころから路上パフォーマンスは始まっていたんですね。
大原:吉見くんが弾いて、僕がセリフを言うみたいなんが面白いなと言うことで、そのスタイルが、第二回公演『茶摘み』に繋がっていったという感じです。旗揚げ公演のときは、吉見くんの劇伴は全部録音やったんですよ。
徳泉:へー!
大原:『茶摘み』から吉見くんが生演奏するっていう今のスタイルになった。旗揚げ公演で落ち込んで、武者修行的に路上パフォーマンスをやったのが、かなり大きかったなと。
徳泉:路上パフォーマンスって、どのあたりでやってたんですか?
大原:いたるとこでやってました。四条大橋の交差点の向こう側の出雲の阿国像のとこだったりとか、四条烏丸の交差点だったりとかがメインで。あとは三条大橋を下に降りた鴨川のところとか、あちこちの大学の構内でもやりましたね。警察が来たらすぐ謝るという、ヤリ逃げスタイルと呼んでいました。京都は路上ミュージシャンが多いこともあって比較的温厚だったかな。毎月4のつく日にやってて、4月は毎日4がつくんで毎日やってて。たまに東京とか遠方でもしてた。
徳泉:なるほど。
大原:東京は厳しくてやりづらかった。秋葉原の大きな事件あってまもない頃だったので、秋葉原とか渋谷は全くダメで。東京大学の中だけはできたんですけど(笑)。
徳泉:そういった路上パフォーマンスの先に、2012年4月の『ガールズ、遠くーバージンセンチネルー』があると。
大原:路上パフォーマンスは僕の失恋の悲しさを成仏させるようなものだったので、その成仏公演のような感じでやりました。ちなみにここで当時月面クロワッサンに所属してた西村花織さんが出てくれたんです。
徳泉:西村さんもこの公演をきっかけで劇団しようよに携わることになったと聞いています。以前からお知り合いだったんですか?
大原:直前に僕が月面クロワッサンに客演して、そこで知り合ったんですけども。当時まだ2回生か3回生でした。
徳泉:まだ学生やったんですね!『バージンセンチネル』のときは一緒にやっててどうやったんですか?まさか現在まで一緒にやることになるとは思ってましたか?
大原:めっちゃやりやすかったですよ。花織さんも僕の作品に出るのが楽しいというか喜びを見出してくれて。またオファーしたいなと思ってた。劇団に入ってもらったりというのはまだわかんなかったですけど。実はこのときの公演には、次回新作公演で舞台監督をする、脇田友くんも出てくれていたという。
徳泉:『茶摘み』にも脇田さんは出て頂いてますよね。
大原:大学が一緒やったので。
徳泉:2012年は、第三回公演の『スーホの白い馬みたいに』で初のツアー公演をされています。このころの劇団の体制はどうだったんですか?
大原:ちょうどそのころにドラマトゥルクの稲垣貴俊さんが入った。彼は今、木ノ下歌舞伎にいるんですけど。彼が入って、作家・演出家とミュージシャンとドラマトゥルクっていう三人のいる形式の劇団になった。わりと話の合う三人やったんです。お互いの領域も決まっていたんで、すごくやりやすかった。それと、その時期の大きな出来事としてその時期に「gate」(※KAIKAで行われていた試演会イベント)に出たんです。現在KAIKAのアソシエイトカンパニーという形で関わらせて頂いているんですけど、KAIKAに出会うきっかけがgateでした。30分の演目をショーケース的に上演するイベントで、そこでやらしてもらって、いろんな人に出会ったんです。今回の『おろしたての魚群』に出てもらう紙本さんとか、制作統括の植村さんだとか。しかも幸運なことに、そのgateで、北九州の「のこされ劇場」っていう劇団とも出会った。そこの代表の方がアイアンシアターっていう北九州・枝光の劇場で芸術監督を当時されていて、秋にフェスティバルがあるぞということだったので応募したら、採用して頂いて。旗揚げ2年目ながらツアーをやらせていただくことになったんです。「スーホの白い馬」を題材にした劇は前から作ってみたくって。この作品はなんども再演する演目になりましたし、思い入れ深い作品になりました。
徳泉:さて、三人体制だった劇団しようよに、2013年、期間劇団員という形で仲間が増えます。
大原:新たに4人の期間劇団員と一年活動しました。それまで劇団に俳優がいなかったので、じっくり俳優と作品を創るというのがしたくて。普通劇団に入団するのって、一生棒に振るような覚悟がいるじゃないですか(笑)。例えば、バイト入ってすぐにやめちゃう、みたいのとはわけが違う。でも覚悟がまったくいらないわけじゃないけど、もうちょっと関わりやすい形で劇団しようよと関わってもらえたらな、と。徳泉も劇団しようよに入って分かったと思うけど、「今の作品」を作る時に「前の作品」と「これから創る作品」ってどうしても繋がってるじゃないですか。
徳泉:連続性というか…。
大原:(前後のつながりを踏まえたじっくりとした創作は)客演さんとはできなかったので、期間劇団員を募集しました。
徳泉:藤村弘二さんとの出会いもここですね。
大原:そうですね、応募してきてくれて。
徳泉:藤村さんは『アンネの日記だけでは』、再演の『スーホの白い馬みたいに。』では演出助手をされていますね。
大原:弘二くんは名演出助手ですよ!気がきく人で、やりやすいんです。あ、それから『アンネ』は吉見くん音源を使っていない、いまのところ唯一の公演です。余談ですけど、いま活躍している吉岡里帆さんも『アンネ』に出てくれたんです。当時は京都の小劇場界で活躍してて、出てくれはったんですが、当時から東京に行きたいって言ってて。僕はずっと東京行くなんてやめとけって言うてたんですが……いま大活躍なので恥ずかしいですね(笑)。大原の言うこと聞かなくてよかったね。
徳泉:期間劇団員の卒業公演『パフ』を経て、西村さん、藤村さん、山中さん(※現在休団中)が正式に2014年から劇団員になりましたね。
大原:みんなに来年以降続けるか聞いて、続けるって言ったのがその人たちでした。別にオーディションとか何かで選別したわけではないです。あ、花織さんは別で劇団員にならへん?て聞きました。
徳泉:そして再演『パフ』の東京・京都ツアー。大変好評だったと聞いています。
大原:その前の2014年1月にも『スーホ』で東京に行ってるんですが、東京で結構いろんな人に観ていただけて、来年以降も東京の劇場でやりませんかという話を頂いたんです。 『パフ』の初演をやったときに、それまで、路上パフォーマンスやったりとか、『茶摘み』で自分の話をやったりとか、割と自分のことばっかり描く作品が多かったんですけど、なんか社会性というか他者のことを考えながら話を創れるといいなと思って『パフ』を創って。2015年も東京公演をすることが2013年度の時点で決まっていたので、2014年にも東京に繋ぎの一発としてパンチを入れようということで『パフ』の再演ツアーをやりました。そのときにいろんな劇評家さんなんかにも出会うことができて、良い評判も頂いたので、自分たちの自信につながる公演になりました。
徳泉:その後、アトリエ劇研での三年間や、ロームシアター京都での『こっちを向いて、みどり』など大規模な公演が続きます。この間、西村さん藤村さんも何度か出演されていますが、どちらかというと大勢の客演さんとの創作が中心だったかと思います。特に意識とかされていたんですか?
大原:そんなに意識してなかったし、2015年に上演した『あゆみ』にせよ『ドナドナによろしく』にせよ、劇団員プラス誰か、でセッションしているという気持ちが湧いたというのがあって。劇団員をメインに据えるというのは『パフ』以降なかったし……ていうか『パフ』以外あんまりないんです。
徳泉:今回の『おろしたての魚群』は新作で、劇団員と密に創作するとのことなんですが。今年2017年の『あゆみ』『TATAMI』京都公演の創作期間中にも、「花織さん弘二くんとの創作をやりたい」という趣旨のことをおっしゃっていたと思うんですが、それは『あゆみ』『TATAMI』の現場で気づいたこととかあったんでしょうか?
大原:劇団という形に憧れながら活動してきたんで、劇団でちゃんと創れるものを創らなきゃいけない、という焦りもあったというか。外部のキャリアのある良い俳優さん呼んだら面白くなるのは当然できるんですけど、劇団でやってる以上、自分たちの持ち味を活かしたものができないとなぁ、と思っていました。2018年には『パフ』を全国ツアーしますけど、『パフ』の創作以降、劇団の名刺というか、僕たちこういうことやってますよっていう作品を創れていない。劇団しようよとしてのそういうものがないから、ちゃんとやっていこうと思っています。 それに、ロームシアターでの公演とか『あゆみ』『TATAMI』とか、派手な企画が二、三年続いていたので(次は違うことをしようと)。小さい規模でも面白いものは出来るので。例えば『パフ』の初演がそうでしたね、華々しさではなく、今ここにいる人でちゃんと創ろうっていうのを念頭に置いた公演だった。そういう発想でもう一度ちゃんと創りたいなぁと。
徳泉:「花織さん弘二くんの良さを一番知っているのは自分だ」というようなこともおっしゃっていたと思うのですが、具体的にどういう良さがあると思いますか?
大原:長くやってると、良いところ以上に悪いところが分かってくるんですよ。どういうところが不器用なんやろとか、どういう音が出せないんやろとか(がより気になってしまう)。『ドナドナ』のツアーにしろ、ロームの『こっちを向いて、みどり』にしろ、出来ないことを克服するような活動をしてきたんですけど。そこはもうちょっといいかなって。ちゃんと、今持ってる本当の味みたいなものに、しっかりとトライしたいというか、そういうことにちゃんと目を向けて、耳を傾ける、そんな取り組みをしたいなと思ってます。花織さんは、出力することよりも空気に溶け込むようなお芝居が素敵に見える人やし。弘二くんも、ビジュアルはカッコいいのに喋り始めたら中身ガチャガチャなアンバランス感を、ちゃんと客席に届くようにしたほうが面白いとか。これまで劇団でやってきたことをもう一度ちゃんとやりたいという感じですね。至極当たり前なことですけど(笑)。でも、いまの劇団しようよは、そこに勝機があるんじゃないかと思っています。
徳泉:では。今回初めて劇団しようよを観てくださるお客様には、どういうところを観て欲しいですか?
大原:実は僕は、アニメやテレビドラマが割と苦手なんですよね。観やすいし面白いし憧れるのだけども。僕が高校演劇していた時なんて、部員の周りの8割はアニメに影響されて、アニメ作りたい、(声優として)演技がしたい、っていう感じだったんです。で、それができない代わりの手段としての演劇をやってる人ばかりだった、ような印象でした。そこから演劇自体が楽しくなってそれ自体が目的になった人もいましたが。それになんか違和感を持っていたんですね。演劇でできることとアニメとかでできることを分けて考えられるようになればいいんだけど。演劇は身体が見えてて、空間を共有しているお客さんに伝えるっていう。アニメは絵しかないところにどう声を乗せていくかという、ぜんぜん違う手法な訳で。あ、僕はアニメや声優さんのお芝居については専門性はないので、これはもしかしたら偏見なことを言ってるかもしれないけれど……。まあ、率直なことを言うと、アニメを観てるうちは舞台でのお芝居を勘違いしてしまうんじゃないかなと。テレビドラマも同じで。化学調味料の入ったお芝居が多いなって感じるんです。でも、それはそうだと思うんです。アニメーションやテレビの画面というレイヤーを通して、人物を表現するのだから。そういう表現になってしかるべきだと思います。だから、観易くて受け取り易くて分かり易くて感動できる。そういうのを簡単に演劇に持ち込んでしまうのは危ないなと。でも、念を押して言っておくと、声優さんとか映像の中でのお芝居を否定しているわけじゃないですよ。伝える手段・方法によって、お芝居のスタイルやコンセプトが変わるはず、って僕は思ってるという主張です。
徳泉:なるほど。
大原:それでなんですが、僕も(観客として観る時はそう)なんですけど、お客さんって、あらすじが気になったり、作品のストーリーが気になったり、結末が気になったり、理解できることを楽しみたいじゃないですか、多くの観客は。でもそれって小説でもできるというか、漫画でもアニメでもドラマでもできるというか。演劇は一緒にいるから感じてしまうことを探さなあかんなということを思っています。なので、これまでの劇団しようよにはなかったようなことをもっと探したいと思ってるんです。なんというか……気まずさであったりとか息苦しさであったりとか。 今回の『おろしたての魚群』が、観客にとってストレスのかかるお芝居にするっていう意味ではないんですけど……その場でしか感じることができないものを、これまで劇団しようよは探してきたんですよね。「スーホの白い馬」っていうストーリーからその場で何かを見つけるか、だとか。会場の選び方にしても、廃ビルの一室であったりとか、元・立誠小学校の一室であったりとか、銀行の跡地とか、その場で感じることを大事にしていきたいなと思ってやってきました。なので、そこに現れる登場人物・人間・俳優、とかそこにいる人たちからも、そういった「その場でしか感じることができない」ものを探りたいです。まあ、当たり前のことを言ってるんですけどね…(笑)。 劇団しようよを初めて観に来る人は、今回は学校の話で、六年生を送る会の話で、演劇がうまくいかなかった学校の話なのか、モンスターペアレントが出てくるのか、というストーリーをもちろん楽しみにしてほしいし、それ以上に見えてくる人々からにじみ出てくる違和感とか息苦しさとか切実さみたいなものを楽しみにしてほしいなあと思っています。
徳泉:最後に、今回の『おろしたての魚群』の創作を経て、来年の『パフ』全国ツアー、それからこの先の劇団しようよにどんな影響があると思いますか?
大原:劇団員とできることとできないことが、ネガティブな意味でなく、はっきりしてくるんじゃないかな。アトリエ劇研での三年間は、自分が演出家として何ができるかを試した三年間だったんですね。その結果、やっぱり新作も書いていきたいし、古典作品(の演出)もしっかりやっていきたいし、自分の中でいい意味で(やりたいことの)線が分かれた。劇団員との関わりも、あえてプロデュース公演をしたい時と、劇団員とじゃなきゃやれないことをやりたいというのが、これからもっと増えてくると思うし、それが『おろしたての魚群』を経てはっきりすると思うんですよ。来年は『パフ』をするって決めているので、堅実な関係になっていけたらいいなと思います。いろいろ枝分かれして、それぞれのラインが確実なものになっていくんじゃないかと思っております。
(収録:2017年10月19日 @AKIKAN)
徳泉:今回は劇団しようよの7年間のことを、劇団員のお二人にお聞きしたいと思います。よろしくおねがいします。
藤村・西村:よろしくお願いします。
徳泉:お二人は劇団の結成当初からではなく、途中からの参加だったと思います。まずは、劇団との出会いからお聞きしたいと思います。 前回のインタビューで大原さんから伺いましたが、西村さんは『バージン・センチネル』の時に客演として劇団しようよ初出演。その直前に西村さんが当時所属していた月面クロワッサンに大原さんが客演したのが二人の出会いだったと聞いています。
藤村:『望遠鏡ブルース』ですね。
西村:よく覚えているね。
藤村:観に行ってましたから。
西村:そうだったの!?ありがとう。
徳泉:その現場で大原さんと接して、どんな風に思いましたか?第一印象というか。
西村:その頃は、私も月面クロワッサンの中心の人なんかもまだ学生で、京都の演劇界に入ったばかりの頃で、大原さんはすでにガンガン演劇をやってる先輩、って感じの印象でした。年上の「演劇人」だ!って感じです。
徳泉:なるほど、そうですよね。
西村:その時、他にも客演さんは大勢いらっしゃったんですけど、年上の方から年下の学生劇団をやってる人まで。そんな中でも年上の先輩枠のお一人でしたので、緊張してました。
徳泉:ご自身が出演される前に、劇団しようよの公演は観に行かれたことはあったんですか?
西村:ないんですよ。チラシは見てたんですけど。『茶摘み』のチラシを、どこだったか忘れましたけど貼り出されているのを見て、面白そうだなあと思いつつ、観には行けなくて。
徳泉:名前はご存知だったんですね。
西村:大原さんが月面クロワッサンに客演してくださったのも、当初は他の方に出演いただく予定だったところ、諸事情で、急遽(大原さんに)お願いすることになったので。偶然の出会いだったんですよ。
徳泉:それがなければ出会っていなかったかもしれない…?
西村:演劇を続けていればどっかで出会ったかもしれないですけど、公演に呼んでもらえるような繋がりはなかったと思います。
徳泉:『バージン・センチネル』のオファーをもらった時は、どう思いました?
西村:なんでだろうって(笑)。別に稽古場で興味を持たれた感じも受けてなくて、すごく仲良くなったわけでもなかったから。一緒に作品を創ったという間柄ではあったけど、次呼びたいという風に聞いていたわけではなかったし。
徳泉:不思議だった、と。
西村:私はそれまで客演とかあまりしてなくって。自分の劇団以外で、ちゃんとした会場でやるよっていう外部の公演に参加するのは初めてだったから、あまり深く考えず参加しに行った感じです。とりあえず行ってみたい、と。
徳泉:参加してみてどうでした?
西村:楽しかったですね。今まで自分が参加した演劇作品とは全然違ってて。自分の所属していた月面クロワッサンは、ドラマ仕立てのシチュエーションコメディを主にするところでしたが、劇団しようよは、バンバン時間が飛んで、空間が飛んで、人がよく分からない行き交い方をして(笑)。なんでこんなとこで照明が点くの?とか、理屈じゃない演出ってあんまり受けたことがなくて。新鮮で楽しかった。
徳泉:藤村さんはこのとき客席でご覧になっていたんですよね。
藤村:観ました。すごい好きでした
西村:大原さんの過去の傷の話とか。座組みの人とか昔っから知ってる人は、ああ大原渉平だなぁって感じの感想を言ってて。へーこれが大原さんか、いっぱい傷ついてきた人なんだなと(笑)。
徳泉:『バージン・センチネル』は、毎月4のつく日の路上パフォーマンス『ガールズ、遠く』の集大成としての演劇作品だったと思うんですが、西村さん自身は大原さん達が路上パフォーマンスをされていることをご存知だったんですか?
西村:月面クロワッサンの稽古の時に、何回か観に行ったりはしていました。
徳泉:どういうことをされていたんですか?
西村:メガホンを片手に大原さんが叫んでて、後ろでエレキギターの吉見さんが、ガンガンに歌ってる、みたいな。動画がウェブサイトに掲載されているので見て下さい(笑)。
徳泉:でも動画で見るのと、目の前でやっているのでは違ったんじゃないですか?
西村:メガホンでめっちゃしゃべっているんですが、通行人の方の目を見てやるので、目が合うとウワってなります。ぜんぜん知らない人があれを見てたら、どんな気持ちなんやろね…。
藤村:びびりますね。大原さんは、その空間を狙ったパフォーマンスというよりは、行き交う人を一人見つけて、(その人に向けて)ガッといくようなパフォーマンスをするので。
西村:そうだねぇ。
藤村:もともと好きでその路上パフォーマンスを見に行くならまだしも、本当に偶然そこを通る人なんか、びっくりされたんじゃないですかね。
徳泉:藤村さんも見に行ってたんですね。
藤村:『ガールズ、遠く』をリアルタイムでは見に行けてなかったんです。路上パフォーマンスで初めて見たのは、次の『魔笛』でした。
徳泉:さて、2012年度に客演として劇団しようよに出演した西村さん、時を同じくして観客の立場で劇団しようよに関心をもった藤村さん。翌2013年度、西村さんは『アンネの日記だけでは』で再び客演として出演、藤村さんは期間劇団員として劇団しようよの一員となります。 藤村さんは、期間劇団員の募集が発表されて、応募しようと思ったのはなぜですか?
藤村:『ガールズ、遠く ーバージンセンチネルー』で初めて劇団しようよを知りました。その時は、大学の先輩に誘われて観に行ったんですけど、本当に面白くて。こんな胸をえぐるような、内容、表現方法で創作する人がいるんや…と思った。好きというよりは、最初衝撃を受けて。それからTwitterで路上パフォーマンス『魔笛』の情報を見つけて何回か見に行きつつ。
徳泉:すっかり追っかけに?
藤村:さすがに全部行ってたわけではないですが(笑)。で、次の公演をやると知ったので、元・立誠小学校に『スーホの白い馬みたいに。』の初演を観に行きました。普通、1回公演を観ただけやと、劇団のファンとまではならないんですけど。たまたまその時の気持ちで今回の公演を気に入っただけかなと思うんですけど。2回目観てやっぱりこの劇団が好きやと思って。その時のパンフレットの挟み込みチラシに「期間劇団員募集」と(いうのが入っていたんです)。
西村:そういえば、そこに入っていたのかぁ…。
藤村:それを見て、あぁ募集してはる…、行こう、と。これが、「劇団員募集」だったなら僕は応募したか怪しいんですが。一年やってみいひんかっていう「期間劇団員」の募集だったので、これだ、と思った。僕は、2012年に演劇ビギナーズユニット(※東山青少年活動センターにて行われている、演劇初心者がひと夏かけて作品を創る演劇企画)に参加して。これは一回きりの企画でしたが、大学の所属とか関係ない、外部の公演に初めて参加したんですよ。というのもあって、(その次の活動として)気になる劇団で一年間の期間劇団員をするというのは、ちょうどいいなと。
徳泉:なるほど。劇団しようよ期間劇団員として初の参加公演となった『アンネの日記だけでは』で、藤村さんは演出助手をされたわけですね。それまでに演出助手の経験はあったんですか?
藤村:ないですよね(笑)。学内の公演で近い役職をしたことはあります。
徳泉:大原さんは(藤村さんのことを)「名演出助手や」と言うてますけども。
西村:本当そう。すごいと思う。
藤村:ありがたいですね。
徳泉:初の本格的な外部公演の参加で、西村さんや先輩俳優さん達と創作してみて、いかがでしたか?
藤村:稽古場ってここまで(作品が)根本から変わるんやって驚きの連続でした。演出の中で創作したいテーマとか動機とかがはっきりしていて、そこは変わってないと思うんですけど。僕がそれまで参加していた公演では、すでに台本があって、書き上げた状態から創作が始まってたんです。言い回しがおかしいからここ変えようかとか、段取りがうまくいかないからセリフ足そうかとか(いう程度の変更)が普通じゃないですか。(劇団しようよのように)伝わりにくいからシーン組み替えようかとか、このシーンなくして新しいの足そうかとかはなかったので。
徳泉:(西村さんに)その時の稽古場での藤村さんはどんな感じでしたか?
西村:正直に言って…あまり覚えてなくって。
徳泉:あら(笑)。
西村:(私は)稽古自体も自分の劇団の公演終わりからの途中参加だったので…。でもね、キャラ濃いってことは分かってた。月面クロワッサンの先輩に、弘二くんはすごい可愛がられていて。可愛がられているイメージ。可愛がる意味も分かる。”弟”感あるもん。 『アンネ』の中で弘二くんは後ろ姿で出るシーンがあるじゃない。
藤村:一分ないぐらいの。サッと。
西村:(創作の過程で)どうしても人影が欲しいって大原さんの希望が出てきて。でも誰が出るの?ってなって。演出助手の弘二くんがいいんじゃないかって。
藤村:ある一人の出演者の腕を掴んで、ハッてなった絵を見せてハケるっていう(出番でした)。
西村:弘二くんのイメージというと、それがすごい印象深い。そのときは演出助手というより、一生懸命演劇に関わろうとしてる人だなぁと思ってた。
藤村:そう見えてたなら、ありがたいです。その次に演出助手で関わった『スーホ』(再演)の東京公演の時は、自分の中でもまだましやったんですけど。本当に初めてしようよに関わって『アンネ』の演出助手をした時は、だいぶ…迷子でした。
西村:迷子ながらに、めっちゃ一生懸命だったじゃん。
藤村:せめてそう見えてたなら嬉しいです。
徳泉:藤村さんは一年間の期間劇団員の活動を経て、気持ちの変化とかありましたか?
藤村:2013年、期間劇団員の一年間で、しようよに出演できたのは『パフ』の一回だけでした。他に期間劇団員として参加していた三人は、僕より先に出演を果たしてた。(期間劇団員として入って)劇団の内側から見て、やっぱりしようよの作品は好きやなという気持ちが膨らんではいたので、この劇団の作品に出演したいという気持ちが日に日に高まってました。
徳泉:なるほど。『パフ』初演はどんな作品だったんですか?
藤村:これはまず、「期間劇団員の卒業公演」ということで企画が走り出しました。期間劇団員は全員総出演で。
西村:私がオファーをもらったのは、東京行った『スーホ』(再演)の終演後の夜に、企画を教えてもらいました。これまで期間劇団員のみんなと一年間してきたことの集大成を見せたいと思っていて、手伝ってくれる人を探しています、と。私ともう1人客演の高山涼くんに声がかかった。でもメインは期間劇団員の子達だから、と聞いたのは覚えてますね。
徳泉:『パフ』という曲をモチーフにしようというのは、企画の走り出しから決まっていたんですか?
藤村:そうですね、最初からあるにはありました。
西村:大原さんが決めたんだっけ。
藤村:はい。
西村:期間劇団員の間はミーティングってしてたの?みんなでこういう公演にしたいって話し合いがあったのか、大原さんがこうって決めたのか。
藤村:動き出しは大原さんですね。話をしてないわけじゃないですけど、発案は大原さんからでした。
徳泉:出来上がった作品をどう思いましたか?僕の周りの同期の中でも、好きだったと言ってる子も多いのですが。
藤村:言われているほど(当時は)話題性自体はそんなになかった。もちろん観に来てくださった方の中にはいろいろあったんですが。大原さんから、初演の稽古の時点ですでに、作品への期待感やモチベーションは聞かされていて、やっぱり、再演の京都・東京を終えて、『パフ』という作品の印象が浸透したなという印象です。
徳泉:なるほど。
藤村:初演のまだ稽古中に、再演したいって大原さんは言ってましたね。
西村:言ってたねぇ。すぐ、東京行きたいって。
徳泉:実際すぐ東京行けちゃってるのもすごいですね。
藤村:ですね…。
徳泉:初演の『パフ』を終えた、再演『パフ』で東京行くぞとなっているタイミングで、2014年に西村さんは劇団員になったんですね。
藤村:(その時)東京行きは決まってましたっけ?
西村:いつだっけ。4月には(劇団に)入ってたから…決まってたんじゃないかなぁ。
徳泉:大原さんから劇団員にならないかという話があったと聞いているんですが、ご自身ではある程度事前に(声かけられるだろうなと)予想はされていたんですか?
西村:それまでは劇団しようよの劇団員になろうとは思っていなくて、客演として関わっている方が楽かなと(思っていた)。自分が所属していた劇団はもともとあったし、最初は断ろうと思ってた。大原さんの作品が好きだから、ずっと客演として関わってはいたけれど、中に入って何かをするっていうのは考えてなくて…。とりあえず断ろう、と。大原さんと何度か話す中でも、前向きじゃないですよとは伝えてて。でも、大原さんに、客演でずっといてもらうのもいいけれど、劇団のストーリーがわかっていないと(やれることが限られてくる)。客演さんには一から説明しないといけないことを、劇団員ならわかっているし、それを作品に乗せられるようになれるんじゃないかっていう話とかしました。あとその頃、いろんな地域に行ってみたい、公演したいって興味があって。大原さんは京都だけじゃなくて、関西だけじゃなくて、東京にも行きたいしいろんな地域に行きたいって聞いてたから、そういう興味を叶えられるんじゃないかという希望があって、お互いの利害が一致したというか(笑)。
徳泉:はい。
西村:それじゃ一緒にやってみようかなという気持ちになって。そしたら突然、ある日、劇団しようよのミーティングに呼ばれました。その日は、期間劇団員のみんなも「これからどうする?」みたいな話をする日で。
徳泉:なるほど、同時進行で話が進んでいたんですか?
藤村:そう。その場に花織さんもいらっしゃって。
西村:てっきり、みんな決まってる中に呼ばれたと思ってて。みんなあやふやだったのかい!って。その場でどうする?入る?みたいな(話がされて)。じゃあ入ろうかな…と。最初は前からいた劇団とのダブル所属でした。
徳泉:藤村さんはその話の時、心は決めてたんですか?
藤村:心は決めていたというか…。劇団しようよに役者がやりたくて入ったのに、その時点で『パフ』しか出演してないところで、ここで劇団しようよを離れて、僕はこれから先、劇団しようよに出れるのかという思いがあって。まだ劇団を離れられるほど自分はやれてないぞと思って、続けてやろうと思ってました。
徳泉:なるほど、強い覚悟があったんですね。
藤村:どうでしょうかね。
徳泉・西村:(笑)
徳泉:『パフ』は東京・京都での再演ツアーをされ、2018年には全国ツアーも予定しています。この作品にどのような魅力があると思いますか?
藤村:そこにいた人、いなくなった人、を描くのが魅力なんじゃないでしょうか。言い方を変えるとそばにいた人、いなくなった人。『パフ』は分かりやすくそれが核になるなぁって。災害を劇中で描くのも魅力やなあと思います。
徳泉:起きた事実として。
藤村:見方としては、嫌がる人もいるかもしれないと思うんですけど。(そういう災害なども)日常とは切って離せないなと、最近も特に思うので。衝撃を受けていただける作品じゃないかと。
西村:一見ファンシーじゃないですか。次の再演でどうなるか今はわからないけど、東京に行った時(再演)は、可愛いお人形をみんなで手作りして。でもその世界って、主人公にとってとても幸せな時間だし素敵なものなんだけど、本当はとっても残酷な世界になっちゃっているところがある。初演の時の印象としては、人の幸せってなんだろうって考えちゃった。再演になってからは、それもあるけど、私は救いのある話だと思ってて。寄り添ってくれる人がちゃんといる。未来が明るい話だと私は思ってて、その上で何が見えるかというか…。受け皿は広い作品だと思う。災害にあった人に伝えられることもあるだろうし、私は災害に遭ってない側の人間だけど、私なりにも救われるというか受け入れてもらえる作品だと思います。
藤村:ファンシーな人形を使っての始まり方をして、すごい最初楽しげで、(そこから)災害が起きて…という展開にも引き込まれるし、すごく観やすい。
西村:『パフ』って題材が、すごい大原さんらしい。いい消化の仕方をしてるなぁと思います。
藤村:切なげですしね。
徳泉:好評だった2014年の『パフ』、2015年『あゆみ』からはじまるアトリエ劇研創造サポートカンパニーとしての三年間の活動を経まして、今回の『おろしたての魚群』は、『パフ』以来の劇団員と密につくる作品と聞いています。大勢の客演さんとの創作が続いてきましたが、劇団員中心のコンパクトな座組み。お二人はどんな作品になると思いますか?
西村:『こっち向いて、みどり』でやり遂げられなかったことが消化できればいいなと。テーマは結構似ている気がする。(劇団しようよでは)ずっと同じようなテーマを追いかけてはいるけれど。遡れば『ドナドナによろしく』とかも、ずっとだけど。
藤村:僕は、元気になれたらいいなと。
西村:元気?
藤村:僕たちやる側も、観る側も。そこにいて1人になってしまうような人や、(周りが)いなくなってしまうから1人になってしまうような人も、きっと描くと思うんですけど。それでも…!という描き方ができると、僕は嬉しいです。いなくなることだったり、周りがいなくなってしまうことって、孤独感をすごい感じますよね。でも、例えば、お葬式ってなんかあったかい気持ちになるじゃないですか。
西村:これだけ慕われてたとか、愛されてたってことね。
藤村:思い出話をしたりとか。 孤独感とか悲壮感とか以外のところに持って行けたら…と思います。そこが始まりになってたり、核になっていることはいいと思うんですが。そういう取り扱い方をしつつ、当事者がハッピーになれるようなことになるといいなって。
徳泉:なるほど。
藤村:あらすじを見ていると、不穏じゃないですか。
徳泉:不穏ですねぇ。
西村:怖いもんね。チラシもなんか怖いし。
藤村:(チラシの写真の)大原さんの顔が怖い。暗闇からニュッと出てて。
徳泉:今後、劇団しようよの劇団員して、俳優個人として、お二人はどうなって行きたいですか?
西村:今は、ここにいるだけじゃダメだと思ってます。いろんな世界を知らないと、ここで出来るだろうことも分からないと思う。自立しないと…というか。いろんな場所に行って、いろんな創作だとか演出だとか俳優さんに関わって、「何がしたい」というの(を考えるの)はそっからかなと。
藤村:いろんなことがしたいです!演劇以外でもしたいことはしたいんですけど、役者がしたいというのはもちろんあって。劇団しようよに出るだけ、(ここに)いるだけでは、自分のできることは広がらないなって(思っています)。もちろん中にいることでの成長もあるんですけど。それだけじゃ広げられないところはあって。自分が客演で行ったり、外の現場をもっと経験しないと広がらないなっていう思いがあります。大原さんは、僕は異質なところが持ち味で武器だとおっしゃるんですが、それはいろんな人に言われるし、自覚もあるし、そうやなぁと思うんですが…。僕が演劇を始めたきっかけが、自分じゃない存在になりたいということだったので…。(自分の持ち味が)武器だというのももちろん理解しているんですが、(それによって)「自分」に引き戻されるのは辛いというか。そうじゃないこともしていきたいし、色々できるようになったら、異質な自分も武器として活かせるのかなあと思います。
(収録:2017年11月14日 @京都芸術センター)
徳泉:今回は、劇団外から今回の公演に参加していただいている、紙本さん・川上さんのお二人にお話を伺います。お二人の、劇団しようよあるいは大原渉平との出会いはいつ頃でしたか?
紙本:「gate」ですね。何年ごろだったか…、劇団しようよが初めて出た「gate」の時です。(※KAIKAで行われていた試演会イベント。2012年「gate#6」に劇団しようよが出場した。)
徳泉:初めて会った時は、劇団代表者としての大原さんと対面した、と。
紙本:それから吉見くんと(出会いました)。
徳泉:作品を観られていかがでしたか?
紙本:すごい、かっこいい、と。これは新しい才能が出て来たぞ、と思いました。劇団衛星のメンバーはみんなもう、「しようよ、すごい。なんだあの人」みたいな(感じで言ってました)。
徳泉:その時の作品は何でしたっけ?
紙本:『ガールズ、遠く』の、路上パフォーマンスをKAIKAの中でやるみたいなやつでした。
川上:私は、『スーホの白い馬みたいに。』の、立誠小でやったのを観に行ったのが出会いです。そこで初めて劇団しようよを観ました。観に行った時はぜんぜん大原さんとも知り合いでもなくって、知り合いが出てたから観に行ったんですけど、それが面白くって。それから、私が出てる舞台に大原さんが来てくれはって。次に、『アンネの日記だけでは』を観に行った帰り道に、東京公演の『スーホ』(再演)に出ないか、と声をかけてくれはったんです。
徳泉:いきなり東京公演に呼ばれて、いかがでしたか?
川上:びっくりしました…(笑)。
紙本:それまではお客さんだったんだもんね。
川上:そうですね。
徳泉:それまでにしようよ以外でも他地域での公演に参加したことは?
川上:ないです。初めて東京でお芝居をしました。
徳泉:(その時の)稽古場の雰囲気はいかがでしたか?
川上:私は、舞台自体がビギナーズユニットでやったのがほぼ初めての体験で。その次が『スーホ』の東京公演だったので、他の現場がどんな感じなのか分からなかったです…。
徳泉:なるほど。東京での公演の時は、どちらに滞在されていたのですか?
川上:会場の王子小劇場にみんなと泊まっていました。大変でしたけど、楽しい気持ちの方が強かったです。思い出は、王子小劇場の近くのマクドナルドで、大原さんと恋バナをしたことです(笑)。
徳泉:最初、立誠小でご覧になった『スーホ』と、ご自身が出演された東京公演の『スーホ』では、違いとか感じましたか?
川上:あー…。でもそんなに話の筋とか、変わってなかったから。私、『スーホ』の立誠小のやつを観に行って、めっちゃ印象に残ってるし好きなお芝居だったから、呼んでもらえたのも嬉しくて。私のやらせていただいた役も、私自身がお気に入りの役だったので、楽しかったですね。
徳泉:ありがとうございます。紙本さんは『スーホ』の作品自体はご覧になっていますか?
紙本:観ましたよ。立誠小のやつと、去年(2016年)に若手と創った『いつまでもスーホの白い馬みたいに。』も。KAIKAでした時(初演のプレビュー公演)も観ました。
徳泉:僕は当時まだ劇団しようよに関わっていなかったのですが、ご覧になられてどのような作品でしたか?
紙本:とにかく暗い。悲しい。
徳泉:「スーホの白い馬」というモンゴルの昔話をモチーフにされていたかと思うのですが、観客として観て、いかがでしたか?
紙本:あー、でも、あんまり「スーホの白い馬」を感じなかったですね。タイトルより芝居の内容の方が印象に残っています。ゴミ屋敷とか、ピンク地底人2号さんが怖かったなぁとか、洗濯機のところとか。ひぃ!って思って。あと、なんかすごく悲しすぎて泣いたのを覚えています。それから、大原くんが出てると面白いなって思ってました(笑)。
徳泉:面白い?(笑)
紙本:セリフ少ないのに、顔がうるさいなぁとか。面白かったです。
徳泉:さて。紙本さんの劇団しようよ初出演は、『こっち向いて、みどり』ですね。
紙本:はい、そうです。
徳泉:オファーがあったとき、どう思いましたか?
紙本:嬉しかったですね。(大原くんとは)ずっと一緒にワークショップの仕事なんかはしていたのですが、作品創りをしたことがなかったので。しようよの作品創りに関して、お客さんとして観ながら思うこともあったりして、気になってたんですけど。それに呼んでいただいて、一緒に作品創れたのは、うれしかったです。
徳泉:人数の多い中での作品創りだったと思うんですけど、いかがでしたか?
紙本:最初の1日目の稽古が、すごいしっかりとしてるというか。今回の『おろしたての魚群』もそうなんですけど、最初は、机を置いて、しゃべる会のようなことをするんですよ。大原くんが作品についていろいろ語る、みたいな時間。すごい緊張した覚えがあります。ちゃんとしてんな、しようよ…って思いました。(当時)大原くんは、大人数で、初めてのロームシアター京都に挑む公演で、多分焦っているんだけど、すごい楽しそうでした。不安も抱えてはったと思うんですけど。
徳泉:出来上がった作品はいかがでしたか?
紙本:お客さんの印象は、『スーホ』と近いんじゃないかな。色とかイメージがすごい似ていると思います。役者さんの経験値とかもバラバラで、いつもやってるお芝居の雰囲気とかも違うし、大変やったんとちゃうかなと思うんです。実際、大変そうでした。初めてのことだらけだったので、消化しきれないこともあったんちゃうかなぁ…と思います。
徳泉:本当に、お疲れ様でした。
紙本:大きな声を常に出していなければいけない役だったので、声をつぶしてはいけない、とか(いうことを思ってました)。(その次に出演した)『TATAMI』では、その反動で、楽ではないですけど、主演じゃないっていいなぁって思いました。
徳泉:『みどり』では、劇団しようよの西村さんが演者、藤村さんが制作として参加しています。大原・吉見以外の劇団員とともに作品を創られたのは、これが初めてかと思うのですが、お二人の印象を聞かせていただけますか?
紙本:弘二くんは稽古場にはあんまりいなかったので、花織さんのイメージの方がどうしても強くなっちゃうんですが、(劇団としては)まだ過渡期という感じがしました。まだまだこれから成長するぞ、という。パワーバランスも、創作のし方とかもそれぞれの得意分野を持ち寄れてないような。”私たちが劇団しようよです”って感じじゃなくて、みんなが緊張しているような(そんな印象を受けました)。『みどり』の時は、”劇団しようよの色”というのがあまり見えない感じがしました。弘二くんが稽古場にいなくて、要素が一つ欠けているというのもあったのかな…と思うけど。劇団しようよがどんなものなのか掴みきれない感じはありました。
徳泉:川上さんと藤村さんの出会いは?
川上:ビギナーズユニットです。
徳泉:同じ年だったんですね。
川上:同期です。
徳泉:当時の藤村さんの印象は?
川上:めっちゃ尖ってました!(笑)
徳泉:しようよの稽古場では見せないような?
川上:もう全然ぜんぜん。今はだいぶ丸くなったけど、今よりもっとトゲトゲしてました。ちょっとおちょくっただけでめっちゃキレてきたり。今は丸くなったなぁと…。
徳泉:(川上さんが)出演されていた『スーホ』(再演)の現場で、藤村さんは演出助手として参加していました。しようよの稽古場では尖った姿は見せていなかったんですか?
川上:東京公演の稽古の時は、まだトゲが残っていたような…。私が生意気やったというのもあるんですけど(笑)。
徳泉:西村さんとは、『スーホ』の東京公演が、初めての出会いですか?
川上:はい。
徳泉:西村さんってどんな人ですか?
川上:私と正反対の人ですかね。女の子!って感じの。真似してもなれないタイプです。
徳泉:ところで、2014年の『パフ』は、お二人はご覧になられていますか?
紙本:KAIKA(再演)で観ました。実はあんまり(内容は)覚えていないんですが…。大原くんはこんな可愛らしい人形を使って、あんな内容の話を創れる男性の演出家さんなんだな、と思ってました。
川上:私は、人間座で観ました(初演)。KAIKA(再演)では観ていません。心あったまるじゃないけど、大原さん…!って感じがしました。劇団しようよ感というよりは。大原さんって、心が綺麗じゃないですか、あ、作品を見る感じですよ(笑)。
紙本:もう一回観たいですね。覚えていなくって、モヤっとしています。『スーホ』は2回ぐらい観たので。あ、弘二くんが犬(役)で裸で出てきたのは覚えてますよ。体張る、いい役者さんだなと思いました。
徳泉:『パフ』は、2018年にツアー公演を予定しています。今回の『おろしたての魚群』という作品は、『みどり』以来20ヶ月ぶりの新作で、『パフ』以来の劇団員と密に作る創作だと聞いています。来年度の『パフ』のツアーも見据えての、新作の創作になると思うのですが、現在できている脚本や稽古を通じて、どのような作品になりそうだとか、どのような作品になってほしいとか、作品に対しての思いをお聞かせください。
紙本:(今回の作品は)話がそこまで大ごとじゃないんですよ。しようよの描くものって、(普段は題材になってるものが)いつもでかいじゃないですか。事件とか災害とか巨人が現れるとか。(でも今回は)すごいちっちゃな部屋の中での出来事で、珍しいなというか。大原くんの新しい作品創りは面白いな、と思っています。 それから、大原くんが明確に持っているイメージみたいなものが、なんかわかる気がするんですよ。それをホンマに一緒に創ってあげたい。どうやったら腑に落ちていくかな、見えないものをこの五人でどう創り上げていくかなぁ…という感じです。面白くなりそう。
川上:ですね。
紙本:そんな雰囲気はビシバシ感じています。役者の層の厚さみたいなのがすごく大切な会話劇になると思います。自分の引き出しの中のこれ!の一発目で出てくるような、単純なリアクションじゃないものが、求められてるんじゃないかなと。深みのある、二手三手先の演技をしたい! 何回も何回もシーン(の稽古)を繰り返して、違うセリフの言い方みたいなのをチャレンジしていく時間があったらいいなと、感じています。同じ芝居を何度もやるんじゃなくて。これどうですか、ではこれは、という、外していく芝居を(稽古場で)して、正解を追い続けていきたいなと。
川上:今、出ている脚本で稽古しているのがすごい難しくて。何回も何回も繰り返してやっていくのですが、ちょっとずつ設定が増えたり、ここのところはこうしてやっていこうとか指示が増えていくので、すごい頭を使うなあ、と…。作品の稽古を始める前の、ペアでお互いを褒め合うワークとかもすごい頭使うし、『魚群』の稽古が始まってから、毎日頭使ってる。頭使いすぎていま何に自分が悩んでいるのか分からなくなってるくらいです。
紙本:今回の作品はそういう稽古ができると思います。ストレートな芝居の部分にいかに厚みをもってやっていくか。その芝居知ってる…っていうような演技にしたくないというか。今回はそんな気がするんです。
徳泉:なるほど。
紙本:今回は、大原くんもそういう粘りっこいことをするために、人数も絞って、劇団員といつものメンバーでできることをやろうとしてるんじゃないかなと。
徳泉:最後に、劇団しようよに、今後こういう作品を創って欲しいとか、こういうことをして欲しいというようなリクエストがあれば教えてください。
川上:吉見さんの音楽ありきの群唱が、すごい好きなので、これからもそういう作品をして欲しいです。もっと観たい。新しい作品を。観ててキュンてなります。
紙本:私も吉見くんの音楽が作品世界に誘導してくれるのが、気持ちいいし大好きで。花織さんが切なそうな顔してる時にチャラリーンってかけてくれるだけで、ウルルってなります…。吉見くんと劇団しようよのメンバーがグッと出てくる芝居を創ってもらえたら嬉しい。
徳泉:吉見さんあっての劇団しようよってことですね。
紙本:大原くんがあんまりほか事に心惑わされないで、自分が大好きな劇場で、いい環境で、しっかり作品を創れる…。今度、『パフ』をもう一度創作するっていうのは楽しみです。
(収録:2017年12月5日 @AKIKAN)