| 作品について | 

 

ままごと柴幸男さんによって紡がれた《女性の一代記》『あゆみ』。

2015年に劇団しようよで挑戦した『あゆみ』を再演します。

劇団しようよ版『あゆみ』では、続いていくはずの少女の成長の物語を、男性キャストのみで上演。

“男性の視点から描き直した、少女の物語” から見えてくる「ここにいる少女とここにいない少女の歩み」。

ゲストとして、京都公演はアトリエ劇研ディレクターあごうさとしさん、東京公演では作者の柴幸男さんが登場します。

 

 

 

 

 

男は、自らの身の回りを”たたみ” はじめる。まずは部屋、そして我が家を。街を。国を。この星を。

最後は、自分自身をたたもうとしていく。男が語る「おわり」の果てに見えるものとは?

劇団しようよ版『TATAMI』では、閉館するアトリエ劇研を背景に、未来のために残された今の物語を描きます。

 

※京都公演でのみ上演。

※本戯曲は、2015年にKUNIO12 『TATAMI』のために書き下ろされたものです。

 

 

4月15日(土)

稽古場にて、『あゆみ』出演者(金田一央起さんは欠席でした)で、

大原不在の時間に、作品について、話してもらいました。

 

 

 

 

◉テンションでやってた初演、再演のブラッシュアップ感

 

高橋:じゃあ、劇団員の吉見さん、司会で。

 

吉見:え〜。皆さん。稽古、どうですか?

 

楳山:今は、4月に入って、『TATAMI』の稽古がメインになっているから。『あゆみ』の稽古は、残り回数が少なくなってきたというか。一週間の中で『あゆみ』に充てる時間が少なくなってきていて・・。

 

高橋:週1とかですもんね。

 

楳山:個人個人で温めてる時期に入ってるのかな・・と感じていますけど。

 

土肥:俺は今、最後の方の台詞を覚えてる。

 

吉見:最後の方って、初演と変わったんやっけ?

 

土肥:変わったその(セリフの)振り分けがちょっとややこしいから。ともすると前のやつ言っちゃう。

 

楳山:ああ、わかるわかる。

 

吉見:シーンも増えた・・よね。

 

楳山:ちょっと増えましたね。

 

高橋:もともと柴さんの台本から(初演時は)削ってた部分が、復活したというか。

 

楳山:基本的には、前回のしようよ版『あゆみ』とほとんど内容は同じ。内容的にはね。演出は変わっているけど。

 

吉見:方向性は一緒だけど。気持ち的には・・、前の時は、何か、変なテンションやったやんか。

 

高橋:確かに。深夜テンションで仕上げたような感じがあった。

 

楳山:吉見さん、初演の『あゆみ』はパンクロックや言うてましたね?

 

吉見:初演の時は、元の柴さんの『あゆみ』があって、しようよでは、その、女性キャストでやったものを男だけでやるという、頭のおかしい方向へ行っています、というのが決め手であった。どう違いを見せるか、アンチテーゼのテンションでやってた感じがあって、そのテンションだけで全てを終えた。それはそれで面白かったし。でも、歳食うて、なんとなく、前回のその勢いだけ、テンションだけ、アンチテーゼ的なところだけでなく、それ以外のところを拾いたくなっている・・。そんな感じがあるんじゃないかと思うんですけど。どうですか皆さん?

 

楳山:純粋なブラッシュアップ感がありますね。稽古していて。

 

高橋:演技のコンセプトもちょっと変わってきているから。初演から出てた人は、その辺はどう思ってるの? わかりやすくしないで、みたいな(演出の指示が)あるじゃないですか。俺個人的には結構大変で。

 

楳山:いやあ、大変ですよ。

 

吉見:確かに(初演は)わかりやすかったね。発色がはっきりしてた 。

 

高橋:柴さんの台本ははっきりしてるから・・。

 

楳山:The小学生・The高校生・The社会人・・みたいな感じでやってたから、キャラクターをカチッとくっつけて、自分の中に芯を持って行けそうな感じだったけど。今回は、役者個人の生理を出せと言われている。自分の体や声を使って、その歳その歳の女性・あみちゃんを作っていく、というのが難しいな。特に僕は年齢が下(の時代のあみちゃんをやっている)だから、そこのバランスはすごい難しいなと思います。

 

:僕は、初演を観てたんですけど。その時に、すげえって思ってた作品に出れて、うわってなってる。

 

土肥:なんですげえって思ったの?

 

:例えば、みんなでバーってセリフ言うところがあるじゃないですか。そういうところで。芝居を観てうわーってなったの、あの時初めてだったので。だから、そんな作品に出れてるだけで満足なんですけど。実際、初演やってらした方々と一緒に出てて、プレッシャーはあるんですけど。皆さん、2回目だけどやっぱり悩んでらして。やっぱり難しいんやなあって・・。

 

高橋:1回目がある分、悩んでるところがあるなあ。初めてやるのは、どうなんだろう?(森くんは)普段やってる芝居と比べて、どう?

 

:大原さんはよく、「もっとリアルな感じで」とか「ちゃんと反応を見て」とか。基本的なことを突き詰めた演出をしてくださるじゃないですか。それが僕はすごく嬉しいですね。コテコテの演技じゃなくて、リアルな世界をちゃんとやってる感じで。僕は楽しいですけど。

 

高橋:演技で言ったら、反応を大事にしてるなって思うな。生っぽい。

 

吉見:前は・・、初演の時は、そこまで重視してなかった気がする。

 

:そうなんですか。

 

高橋:お話の、いわゆる記号的な・・、いわゆる、小学生はこうだよねというような印象を見せられた感じが、初演は強かったかな。

 

吉見:初演は、どんと置いて、退けて、次を置いて・・てしてて。再演にあたっては、置いて、お客さんの反応を待ってから退ける・・。それをちゃんとやろうとしている感じ。

 

楳山:御厨さんはどうですか、(『あゆみ』)初参加ですけど。

 

土肥:でも、しようよ歴は長いですよね?

 

御厨:しようよに出るのは、僕、3回目で。『パフ』の再演をやって、その後、せんがわでやったスイカのやつ(※『こんな気持ちになるなんて』 せんがわ劇場演劇コンクールにて上演)をやって・・。僕、しようよの現場は、全部再演のものに呼ばれているんですよ。

 

高橋:確かに。本当ですね。

 

御厨:しかも、『パフ』は観たことあるけど、『あゆみ』もスイカのやつも、初演を観てないんですよ。で、『パフ』から思ってたことは、(初演の)動画とか(ネットで観れるように)上がっているのだけど、逆に観ないで現場に入る方がいいんだろうなって思っていて。それは、最初心がけた。演出がついてからちゃんと見返したりはしたんですけど。最初入る時にイメージ持ち込んでいくとあまりよくないな、て。初めてクリエイションするという感じで行った方が、向こうも新鮮だしこちらも新鮮で行けるというか。

 

吉見:渉平も、再演する時はいつもそのテンションでいると思う。もちろん、(初演が)下地としてはあるわけだけど、同じことをやろうというより、新しいことをやろうとしている。

 

御厨:そうですか。

 

 

◉しようよ版『あゆみ』のコンセプトにどれくらい乗れているのか

 

吉見:門脇さんはどうですか?観てると、俺、あんまり門脇さんは変わってないように思う。

 

門脇:うん、僕の芝居は、そんなに変わってない・・。まだ、でも・・、(この作品は)お父さんが(あみちゃんの成長を)見ているということじゃないですか。それでいくとまだ僕はその場にいれてない感じがあるので、もうちょっと色々決まってきて、立ち位置なども確定していったら流れを作れるのかなという気がするんですね。最終的なことは、最後、劇場に入ってからわかるんじゃないですかね。

 

土肥:おお・・。

 

門脇:新しく増えたシーンでも、(お父さんがあみちゃんを)どこでどう観てたらいいのかまだあんまりわからなくて。ずっと想像しとけばいいのかとか、ちゃんと観ていたらいいのか、とかわからなくてですね。まだその辺、手探りで。

 

高橋:今はまだ、お父さんという存在に具体的な演出が決まってないですからね。・・これ、座談会で話すことじゃないかもしれないけど。あみちゃんという一人の女の子を、父親の視点で見ているという、しようよ版『あゆみ』のコンセプトに、みんな、今回どれくらい乗れているのかなっていうのは気になります。その辺の話をあまりしてないから。

 

門脇:今は、中身の方を作っている感じがあるね。

 

楳山:初演に比べるとその辺省いてきてますよね。

 

吉見:初演の時の方が、はっきり門脇さんにそれ(コンセプト)が乗っかっている感じがあったんですけど。

 

門脇:まだそこまで作ってきてないだけだと思うけどね。

 

吉見:再演にあたって、門脇さんがお父さんです、という記号化を、良くも悪くもちょっとぼやかしている、というのもあるのかなと思うんですけどね。門脇さんはその、「お父さんの視点」を担うシンボルとしてありますけど。俺たちも、最終的にはお父さんに見えるように、というのがあるじゃないですか、男性キャストでやるってことは。今回は、門脇さんというシンボルももちろんあるけど、それ以外の俺らにも、そのエネルギーが移っているのかなって感じがする。それでちょっとぼやけてる感じがあるんかもしれないし。そこを認識し直さないといけないのかもしれないって思いますけど、どう思います?

 

楳山:演じることであみちゃんのやってきたことをそれぞれのキャストが追体験していく ってのが、今回の男性版『あゆみ』やと思うし。初演の時もそういうコンセプトはあったと思うけど・・。

 

吉見:初演は若干それが見えにくかった気がするなあ。

 

高橋:コンセプト的な話は、あんまり今回の稽古場でしてないから、新キャストの2人はどういう風に思ってるのかな、ていうのは気になりますね。

 

門脇:まあでもね、立ち位置とか決まったら出てくると思うよ。

 

土肥:(立ち位置)早く決めたいですよね。

 

門脇:でも(まだ)決まらなくていい。劇場入りしてから決まってもいい。ギリギリまでそうじゃない方を、見る方より見られる方をどんどん詰めて、その上でどこから見るかとか、その視点を演出が持っていないわけはないので、最後こうしましょうって行ったらいいと思っているのですよ。

 

吉見:初演の時より今回は、ちゃんとあみちゃんの中身を詰めていこうというのがきっとあるんでしょうね。

 

:そういう(コンセプトの)話って、初演の時はいっぱいしたんですか?

 

高橋:いっぱいした。

 

楳山:それこそ、(柴さんの『あゆみ』の)長編の台本も短編の台本もめちゃくちゃ読んで、これは必要かなとかいらないかなとか。

 

高橋:結果的にお芝居の形を整えるのは本当に小屋入りした後になるくらい、こっちに時間を割いてた。

 

御厨:だから、パワープレイっていうか。ある種、それも、男性キャストでやってる醍醐味だと思うんだよね。小屋入り後のテンションでブワーッとやれる、そのエネルギーみたいなのが初演はあったんだろうなっていうのは、動画で観ていて感じていた。

 

吉見:そうですね。

 

御厨:それは吉見くんも言ってたし、わかるし。でも、このぼやけ方も悪い感じじゃないなとは思っている。

 

 

 

◉『TATAMI』との二本立て上演をすることで

 

制作:(言葉を挟む)一つ、質問を加えてもいい? 今回、『TATAMI』と二本立て上演をする、ということで感じていることありますか?

 

楳山:今のところ、『TATAMI』の稽古場に行ってる『あゆみ』メンバーって誰ですか?

 

高橋:門脇さんと、俺・・。

 

土肥:俺も行ったよ。

 

吉見:俺も。

 

楳山:僕は昨日行った。

 

門脇:(土肥さんは)ちょくちょく来る。

 

土肥:隣り(京都芸術センターの隣りの部屋)で笑の内閣の稽古をしてるからさ。

 

楳山:チラシにも書かれているけど、(『あゆみ』と『TATAMI』は)始まりの物語と終わりの物語っていう。対照的というか対比的というか、そういうものとして表してる部分があるのかな、と思うけど。

 

吉見:でも俺は、両方の台本を読んで思ったけど、そんなに対照的な作品ではないような気がする。

 

高橋:別に柴さん自身が対として書いてないから。それを対で捉えて、大原さんがどの辺を面白く思ったのか。大原さんがどこでこの作品を対にしようと思ったのかな、というのがポイントだと思う。

 

土肥:僕はまだ内容は知らないんだよね。どんな話?

 

高橋:SF。

 

土肥:やっぱりSFなんだ。柴さん(の作品)ってSFだね。『あゆみ』ではそこバッサリ削ってるけどね。『TATAMI』ではSFのままですか。

 

門脇:割とそのまま。若干削ったり入れ替えたりはするけど。

 

高橋:大原さんがSFということに対してどういう姿勢を取ろうかと悩んでいる。

 

土肥:(チラシを見ると)赤と黒じゃん。その色味の違いが頭の中でイメージされてるかな。

 

御厨:イコールのところを見つけるとしたら、しようよ版『あゆみ』は、お父さんが軸になってるところがあって。『TATAMI』もそうなんですよね結局。親父というものの生き方みたいなのを、『あゆみ』と『TATAMI』で見るのがいいのかなと思いますけど。柴さんの『あゆみ』は、そこまでお父さん軸になってないから。

 

楳山:昨日稽古を観ていて思ったのは、(『TATAMI』は)柴さんの死生観がかなり如実に表れているというか。すごい、印象的なセリフがちょいちょいある。

 

門脇:あるね・・。

 

御厨:『TATAMI』は、僕はオリジナル版を観てたのだけど。その時の印象で言えば、「終わりの始まり」みたいな話だった。

 

吉見:『TATAMI』が「終わりの始まり」だったら、しようよの『あゆみ』は、「始まりの終わり」みたいな感じ。始まることが終わっていくのが『あゆみ』な気がする。

 

楳山:基本、(柴さんの)『あゆみ』の「長編」をベースにしてるじゃないですか。でも、最初の、「えーと私は、一生に、だいたい1億8千万歩ぐらい、歩きます」というセリフが、原作では、最初のシーンと最後のシーンに表れているけど、でもちょっと内容が違うじゃないですか。初めの方は「最初の一歩の踏み出し」だし、後半のシーンのところは、いわば「死に向かっての最後の一歩」。

 

門脇:一生を描いているんですよね。柴さんのは。

 

楳山:でも、今回の『あゆみ』は、両方とも、「初めの一歩」で始まり、「初めの一歩」で終わる、ていう。

 

高橋:あの後、誰かが子どもを産むというシーンが入るしな。だからあの「初めの一歩」は、別の誰かの一歩かもしれない。

 

吉見:うーん、そうですね。なんかね、『TATAMI』はそうやって後に続いていくことをちゃんと描いているけど、『あゆみ』は、

ここで終わってしまったんだなという視点までしかない。しようよ版『あゆみ』は、その後、それを抱えてどう生きていくかまでは書いていない気がする。

 

高橋:確かに。

 

<大原が部屋に戻って来る>

 

高橋:『TATAMI』の中身のことは、あんまり話さない方がいいのかもしれないけど。最後、お父さんが歩けなくなって終わるんだけど、それを観ていて、『あゆみ』は立つところから始まったなあ・・て思った。生まれることと死ぬことはとてもくっついてる感じがする。だから、『TATAMI』を観て、その後に『あゆみ』を観るか先に『あゆみ』観るかわかんないけど、『TATAMI』を観た上で『あゆみ』を観たり思い出したりして、色々な解釈が増えるなあという感じがしている。

 

吉見:ああ、そうね。これ(この対談)、両方観た方が面白いよってことをもっと語っていないといけないんやったな。

 

土肥:(『TATAMI』では)門脇さんの大きい声が聞こえる、はず。

 

門脇:ああ、大きい声を出すところがある。

 

土肥:そういう面でも面白いと思う。

 

門脇:『あゆみ』の方は(僕は)見る役だったんだけど。見る役の僕をお客さんが見るんだけど。『TATAMI』の方は、見られる側な感じがする。

 

吉見:『あゆみ』と『TATAMI』の親父像の違いが出るかもしれないね。『あゆみ』では、傍観者としての親父だけど、『TATAMI』では、親父自身の話なんですよ。親父自身が見られる。

 

高橋:成長して絶対主だった親を、ちょっと引いて、一人の人間として見られる、ような印象の違いがあるかも。・・と今の話を聞いていて思った。

 

楳山:両作品を通して、共通してこういう風に観て欲しいなって、僕が個人的に思ったのは、「見届ける」という感じで観て欲しい。『あゆみ』はわかりやすいじゃないですか、僕たちキャストも周りから「見ている」し。『TATAMI』も、お父さんが収束していくその様を「見届ける」。そういう意味では、共通してる部分があるのではないかな、と思いますね。

 

吉見:「見届ける」、か・・。確かに。

 

楳山:しようよ版『あゆみ』は、もう、単なるあみちゃんの成長譚ではなくなってますからね。

 

吉見:うん。・・さあ、どうまとめたらいいんかな。両方観たら何が見えて面白いんかな。どう思います?(といきなり大原に振る。)

 

大原:『TATAMI』を観てから『あゆみ』を観た方が面白いんじゃないか説を最近思ってきた。

 

御厨:僕は、『TATAMI』を観てからの方がいいように思う。特に初演の『あゆみ』を観てくれたお客さんは、『あゆみ』をもう一度観るんだったら、『TATAMI』を観てから観た方が絶対いい。

 

高橋:『あゆみ』『TATAMI』『あゆみ』のサンドイッチじゃないですか。僕、一推しの観方は、それ。

 

大原:それ最高やね。

 

吉見:俺らにとって、最高。(笑)

 

門脇:それもそうだ。

 

吉見:じゃあ。そういうわけで。

 

楳山:オチもついた。

 

土肥:3回観てーってことやね。

 

一同:ありがとうございました。

 

 

座談会第二弾。

演出補佐の小杉茉央、演出助手の渚ひろむに稽古のこと、作品のことを聞きました。(聞き手:徳泉翔平)

 

 

 

◉『あゆみ』と『TATAMI』を同時に創る意味

 

— 稽古の調子は、どうですか?

 

小杉:僕は、すごい順調やと思っている。楽しくない瞬間がないから。僕は、ありがたいことに、今回で、大原渉平という演出家と一緒にやるのは、7作目なんですよ。劇団しようよだけでも6作やってて。その中で、全体を通して楽しいと思い続けられてるのは、今回の『あゆみ』『TATAMI』が初めて。それは、隣りで見ていて、大原さんの迷いをあんまり感じないからなんかなーというのが結構ある。だから、演出補佐としてサポートしやすい。今までに比べて、演出がぶれないから。いや多分ぶれてるんでしょうけど、大原さんの中に必要なぶれしか見えないから。だから、じゃあここがぶれてるんなら、僕は補佐としてここをサポートしようとか。こういう考えを持ってますよというのを、クリティカルに自分の言葉を発することができてる気がしている。

 

— それは、『あゆみ』も『TATAMI』も両方?『あゆみ』が再演だからとかではなく?

 

小杉:両方ですね。でも、『あゆみ』の稽古を先に始めたから、下地としての『あゆみ』というのが、『TATAMI』の稽古場に繋がってるようには思うんですね。空気感とか。大原渉平という演出の中で、作品に向き合う時に、『あゆみ』の稽古場で培ったものを確実に『TATAMI』で活かしてるなと思うし。 (渚さんは)どう? 初めて関わる訳やんか。

 

:初めてなんですけど・・。茉央さんもおっしゃられたように、演出家さんに迷いがないから。私がパッと思ったことを言う前にその場で解決されていくし、ある程度進められていくし、茉央さんがクリティカルにパッと捉えちゃうじゃないですか。じゃあ、私がやることは、稽古場をいやすくしたりとか、役者さんを見たりとか、その他、諸々の見えなさそうなことをやるのに集中できるので、こんなに過ごしやすくていいのかなって思っています。

 

小杉:よう働いてくれてるしなあ。助かってますわ。 『あゆみ』『TATAMI』をそれぞれ別で考えるとどんな感じに思う?さっき僕はあえて『あゆみ』『TATAMI』は繋がってるって発言をしたし、それは間違ってないと思ってるけど。今、『TATAMI』の稽古をやっていて、今日とかそうだけど、間に『あゆみ』に帰ってくるやんか。(※注:現在、週に1〜2回『あゆみ』の稽古をしている。)その時に『TATAMI』が活きてるなと思うのよ。体力とかはどんどん削られているんだけど(笑)、2作品つくることがいい方に作用しているなと思うところは多い。それをあえて、別で考えるとどう思う?どう思ってる?

 

:・・難しい。あんまり別で考えたことがなくて。企画書をいただいた段階から、繋げていくよっていう話を大原さんからお伺いしてて、そうなんだなっていう目線で見てたんですよ。一回目、初めて『TATAMI』を見た時、これ、繋がるのかな・・て思って。繋がるのは繋がるんですけど、いかにもな感じで繋げていくのか、それとなく繋げていくのか、どうしていくのかなと。期待と不安が入り混じった感じで見てたんです。

 

小杉ああ・・そうだね。

 

:『あゆみ』と『TATAMI』は、「始まりの物語」と「終わりの物語」。・・と宣伝文句ではなっているけど、私は、どちらも「始まりと終わりの物語」だと思う。

 

小杉:ああ、それ、すげえわかるわ・・。僕も、最近それをすごく思っている。『あゆみ』は始まりの物語であり、いま生きている人の物語で、『TATAMI』は、いま生きている人だけど、終わりゆく人の終わり方の話やんか。で、僕がいま22歳で、どっちが近いかって言ったら、絶対『あゆみ』の方が共感性が高いはずなんだけど。でも、稽古をやっていくにつれ、逆やなと思うようになって来たところがある。

 

:うんうん。そうですね。

 

小杉:『あゆみ』を観た時に、すごい「終わり」を感じたんだよな。もともと原作のままごと版の『あゆみ』は、終わらないじゃない? 女の子が生まれるところから始まって、小学生・高校生・大学生・社会人ってなって、最後にお母さんになって、その途中にあみちゃんのお母さんは死んじゃって、最後の最後に、あみちゃんの娘っぽい人の話が始まって、そこで終わる。すなわち、輪廻転生がずっと繰り返されているふうにも見える作品じゃない? しようよ版はそうじゃないのだけど。 『あゆみ』を観てて、僕は、今まで生きてきた自分とか、これから終わりゆく自分とか・・、どっちかというと、限界みたいなもの、区切りみたいなものをすごく感じた。続いて行く話なのに、続くことを見るからこそ、自分一人が続かない区切りみたいなのをすごく感じる。それで、『あゆみ』は「終わり」だなって考えてた時に、『TATAMI』の稽古が始まった。 『TATAMI』は、終わりゆく話で。お父さんが自分の人生の終わりに、人生をどうやって畳んでいこうかという筋書きがあるけど、それを観たら、始まるために終わるのだ・・みたいなことを、逆説的に考えた。 僕の勝手な感想なのだけど、『TATAMI』を観たら「始まり」をすごく感じるし、『あゆみ』を観ると「終わり」をすごく感じちゃうんだよね。宣伝文句と逆のことを言っちゃうけどさ。だからこそ、この2つを同時に観る意味、創る意味ってそこにあるなあって。

 

:『あゆみ』と『TATAMI』は、どちらも全然違う形の家族ですけど。この作品を観た時、自分の家族のことを一瞬でも想起する時があると思うんですよ。『TATAMI』は家族の形が終わるけど始まる。『あゆみ』も、終わるじゃないですか。で、その次にどうする?という投げ方で終わる感じがしますね。

 

小杉:何度も同じことの繰り返しになるけど・・。『あゆみ』は、今まで区切られて来たことに想像力が行くし、『TATAMI』は、終わっていくことに関して想像力が及ぶなあ。少なくとも、今の20代の自分が、『TATAMI』を観てる時には、今後自分が終わっていくだろう道、もっと言うと自分のお父さんのことを思ってしまう。親父の人生にはこんなことがあったのかなとか、息子である自分に対してこんなこと思ってるのかなとか思ったら、ゆくゆくはいずれ自分もそのポジションに行くわけじゃないですか。そこに自分を自己投影してしまう。やっぱり、「終わり」、その先を見てしまう。自分の終わりを見るということは、自分から見たら未来を見ることだから。これから始まることを見ているつもりになっちゃって。

 

:そうですね・・。

 

小杉:『あゆみ』は女の子の話だから、自分と共感性がないのかもしれないのだけど、すでに終わったことが描かれる。特に劇団しようよ版は社会人(のシーン)までだから、まさに今の自分の年齢までのことが描かれるから。今までこんなことあったっけって考えちゃうし、今まで自分が区切ってきたことを一つひとつ見てしまう。・・これ、やっぱり同世代の人に観て欲しいなあ、両方。で、なんやったら僕は、自分のお父さんを呼びたい。

 

 :ああ、わかります。めっちゃ呼びたい。

 

小杉:お父さんに観て欲しいかな。お母さんも観て欲しいけど、特に、お父さんに観て欲しい。これ、何でなのかわからないけど。

 

:全力で(お父さんを)呼ぼうと思ってたんですよ。来るかわからないですけど。

 

『あゆみ』稽古場の様子

『TATAMI』稽古場の様子


 

◉女性と男性の共感性

 

— 今回、『あゆみ』の稽古場に渚さんは紅一点でいるわけですが、女性の物語としての『あゆみ』は、説得力や共感はありましたか?

 

:私は、ありますよ。あみちゃんが成長して行く過程の一つひとつを当てはめたら、自分にもあったことだなと思うし、お母さんに感じていたこととか、お父さんがどういう風に見てたんだろうとか、そういうことを感じます。 ネタバレになるかもしれないですけど・・。門脇さんがカメラを見るシーンがあるじゃないですか。その時に、私は今、実家で住んでいるんですけど、もしも私が、実家から出て行ったら、残されたアルバムとか見て、お父さんは何を思うんだろう?と自分を投影した時はありました。

 

小杉:さっき、迂闊に「女性の物語だから共感性がない」とか言っちゃったんだけど、僕も、『あゆみ』に共感はしてて。こういうの見てきたなという共感のし方をしている。 例えば小学生のシーンで、アホみたいな男の子が出てくるんですけど。僕は多分小学生の時、あんなんじゃなかったけど、あの男子が描かれるところに描かれてる女の子のあみちゃんのような人はいて、そんな女の子を僕は隣りで見てたんですよ。高校生に上がったら、憧れの先輩のような男の人が出て来る。僕はそんな憧れの先輩のような存在であったのか、なかったのか・・はわからないけど。そういうことをやってる女の子を見てて。 そう考えた時に、『あゆみ』が、自分の人生に何かしら触れるんですよね。その女の子に対して、僕はこんなことを思ったという記憶があって、それを彷彿とするし、そういう共感性はある。あの頃の自分を思い出すんですよね、『あゆみ』を見ていると。女の子の人生、舞台上で描かれている人生に直接触れたことは僕はないけど、その人生を見てた自分はいるから。・・ていうような楽しみ方ができるかなと思う。 だからこそ男性キャストがそれを演じることは、そこの共感性にも繋がってるんじゃないかと思うけど。

 

:そうですね。

 

小杉:おもろいよね、稽古場で。キャストにも年齢の幅があって、その人たちが女性役を演じててさ。ああ、この人にとっての女性ってこういう感じなんやって思う。こういう女性を見てきたんだなとか。

 

:人生経験が垣間見れる。

 

小杉:『TATAMI』もそしたら一緒なのかもね。まだ自分は死んでないけど、やっぱりそういうお父さんの姿は見てきたし。

 

:お父さんが畳み始めたら嫌やなあ・・。

 

小杉:嫌やなあ、それは・・。色々な意味で・・。

 

:でも、うちの親父はよく言うんですよ、「(死んだら)俺のことは忘れてくれ」とか。

 

小杉:僕も小さいころ言われてた。お父さんは魚肉ソーセージとかムッチャ好きで、死んだらこれを供えてくれ、とか言われてた。それをふざけ半分で聞きながら、一瞬悲しく思ってたし、そういう記憶を未だに覚えている。あれから十数年生きて来たけど、未だにスーパーで魚肉ソーセージを見たら思い出すんですよ。お父さんが死んだら、絶対供えると思う。・・そういうの、思い出しちゃうよな。

 

:思い出しちゃいます。どこにでもある景色なんだけど、劇にすると、こんなに面白くて、はあーって・・。この「はあー」をうまく言葉にできないんですけど。

 

小杉:僕、昔からすごく好きな、しようよの言葉があって。チラシに書いてないかな?企画書とかに書いてあったのかな。「劇団しようよとは」という説明の文章の中で、これいいなあって思っていた言葉があるんだよ。いつも演出部でミーティングしてる時に大原さんが言わはることでもあるんだけど、「劇団しようよは、誰もが共感できる身近な小さな感傷とかそういうのを大事にしている」っていうような言葉で。その言葉をいつもすごく思いながら僕は稽古場にいる。 また、大原さんが創る時によく「社会性」という言葉を使うの、聞いたことある?

 

:あんまり意識して聞いたことないです。

 

小杉:「社会性」って言葉をよく使わはるねん。「社会に提出する意味があるかどうか」みたいな。それが演劇には大事だって。それに対して、僕は、いろいろなことを考えながら受け取ってる言葉なんだけど。「社会に提出するものとしての演劇」という視点はやっぱり大事やと思っている。 「社会性」とか言いだしたら、政治の話とか大袈裟な話っぽくなるけど、そうじゃなくて。そこに生きている人一人ひとりにフォーカスして。その人が今朝歯磨きができたこと、夜ぐっすり眠れたこと、ごはんが美味しかったこと。お母さんが当たり前にいたこと、恋人がいること、離れていくこと。ずっと隣りにいる人の気持ちなんてどれだけ一緒にいてもわからないこと。そういう、一人ひとりが抱えてる社会的な問題ってあるやん?すごく小さいこと。それをちゃんと舞台上に乗せてくれるところが(僕は)好きなんやな。 そして、『あゆみ』『TATAMI』でもそれができると思っている。やってると思っている。

 

:やってますね。

 

小杉:2つの作品は全然違うけど、両方ともしようよの作品になってるなと思っている。

 

:ああ、そうなんだー。新しい発見でした。『CEREMONY』もそんな感じでしたけど、今、初めて言語化されて、腑に落ちました。そうですよね。

 

小杉:それが大事やなと思ってるんですよ。そういうところで色々な人に手が届いたらいいと思ってるし、演劇では絶対人に手は届かないとも思ってるけど。届かないから届かせようと努力するっていう。その泥くさいところが、しようよは好きだけどな。

 

:ああ、そうですね・・。

 

『あゆみ』稽古場の様子


 

◉両作品における門脇さんの味わい

 

— 門脇さんは『あゆみ』『TATAMI』両方でお父さん役をされてるけど、両方の稽古場にいて、両方の門脇さんを見て、どう思いますか?違いはありますか?

 

小杉:すげえって思う。バイタリティがすごいよね、大変やもんね。

 

:すごいです・・。

 

小杉:違いは?って考えたら・・、エネルギーの出し方の違いを感じるかな・・。それって、門脇さんがって言うより、僕的には稽古場の違いやと思ってるんですけど。それに合わせて、門脇さんが出力の出し方を変えてはるみたいなイメージがある。 『あゆみ』(の稽古場)は、すごいエネルギッシュで、どこか純粋愚直に頑張ってるところがある。

 

:アツいです。

 

小杉:わかりやすく男子だらけという楽しさに稽古場が行ってる。純粋にうるさいし・・。

 

:何をしても笑いが起きますもんね。

 

小杉:「若い」感じがすごいする。キャストさんの年齢幅こそ広いのに、エネルギー量・稽古場のパッションは若いというのが印象としてある。そういう時に、門脇さんがそこに合わせてちゃんとエネルギーを発散してる。稽古場の熱くなりすぎなところを調整してくれる、お父さん的な役割も当然してくれてるんだけど、どこか若いし楽しそうにしてる門脇さんの姿がある。

 

:はい。

 

小杉:一方、『TATAMI』は、でも稽古場としてエネルギー量が変わるとは全然思ってなくて。出演されてる4人とも、『あゆみ』メンバーよりはベテランと呼ばれる方々だけど、でも4人とも若さがないとかエネルギー量がないとかそんなことは全然なくて。ただ、エネルギーの出力の仕方に技を使ってる。で、門脇さんもその時はそっちに合わせている感じがあって。やってることは変わってないけど、どこにエネルギーを使っているかというのが、外から見ていて印象が違う。

 

:エネルギーの出す方向性も違うし、色のようなものも違いますし・・。違いはあるし、でも、門脇さんは門脇さんじゃないですか。門脇さんだからこその味、素敵な部分が『あゆみ』にも『TATAMI』にも出ている。家族の中の振る舞い方やキャラの違いはもちろんあるんですけど、でも、門脇さんのエネルギーの色は似たようなものでありまして。だからこそ、門脇ワールドに包まれていく・・。

 

小杉:完全に、「門脇スペシャル」って(稽古場で)呼ばれてる企画やもんね。

 

:だからこそ、2つ観るといいというか・・。そんな言い方すると、宣伝みたいになっちゃいますけど。(笑)

 

『あゆみ』稽古場の様子

『TATAMI』稽古場の様子


 

◉演出家・大原渉平について

 

小杉:渚ちゃんと話してみたいことがあったのだけど、演出・大原渉平をどう思う?2ヶ月一緒にやってみて。

 

:えーと・・。

 

小杉:僕は長らく一緒にやらせてもらってて、色々思うところこそあれど、自分の一師匠だと思って見ているんですよ。演出家としても俳優としても演劇人としても。 渚ちゃんは今回から一緒に見ていて、もともと劇団しようよは知ってたかもしれないけど、いま、どういう印象を持っているのかなーって、単純に気になっている。

 

:最初は、春秋座で出会ったんですよ。観劇に行った時にたまたま大原さんもいらしてて、徳泉氏に紹介してもらって。5分くらいですかね、一緒にいたの。どうでもいい話しましたね。その時の返しに失敗して、良くない空気になって・・。あー失敗したなあって思って、その日は帰ったんですよ。 で、それから2ヶ月後くらいに、徳泉氏から「オファーが来てますよ」って連絡もらった。

 

小杉:ああ、まだオファー来てない時だったんだ。その時は完全に出会っただけなんだ。

 

:だから、大原さんが意味わからないんですよ。なんで私にオファーしたのか。そのことを全く聞けてないし。『あゆみ』や『TATAMI』についても、お話したいことたくさんあるんですけど、何一つ話せてない。

 

小杉:今回、実は演出部ミーティングを、まだあんまり回数してないんだよね。

 

:一度、『TATAMI』のミーティングはしたんですけど、その時は私、全然お話できなくて。『TATAMI』に翻弄されすぎて。何も話せなくて。

 

小杉:わかるわかる。

 

:次に、『CEREMONY』を観に行った時にちゃんとご挨拶したのかな。その時は、すごくお話のしやすい方だなって思った。で、お話のしやすい方って、たいてい壁の分厚い方じゃないですか。だからきっとこの人、壁が分厚いんだろうなあって。この人の深淵を見るには長い時間がかかるんだろうなあって、思って、帰りました。

 

小杉:今、2ヶ月一緒にいても、それは変わらず?

 

:うん、壁は分厚いな・・て(笑)。

 

小杉:(笑)

 

:分厚いですけど、だからこそ色々なところに行けるんだと思います。それを武器にして振り回すこともできるし、盾にすることもできるから。それをクッションにして人を受け止めることもできますし、バネにして飛ばすこともできる。だから、すごい人だなって思います。

 

小杉:なるほど。

 

:演出家としては・・。私は、そりゃまだ年齢もそんなにないのでわからないことがたくさんあって。稽古を見ててこれは問題点やなって思うことはあるんですけど、それをどうしたらいいのかなって考えてる時に、どうしても答えを見つけられないんですよ。で、見つけられないなー、何て言えばいいんだろう・・て考えてる時に、大原さんも似たようなことを思ってる時があって。それを、じゃあこうすればいいんじゃない?て役者さんと寄り添って、かなり近しい目線で、演出の人としては珍しいくらい目線を落としてアプローチしていく。その結果、問題点を解決する。そういう現場を毎日毎日見てるんですけど。

 

小杉:今回、それすごいわかるなー。 『CEREMONY』の前までは、役者さんと信じ合えてないんちゃうかと思う時があった。それって大事やとは思うのよ。演出家と役者は疑い合わないといけない。でも一緒の作品を創るために信じ合わないといけない。疑いを捨てられないのに、信じ切ることなんてできないのに、手を伸ばし続ける、というのは絶対大事やと思っている。けどその疑いが、濃度としてどうもちょっと高かった、という印象が、しようよの現場にあった。それを何とかしようと思って、自分は、演出補佐・演出助手という立場で必死で努力してたんだけど。それがどこまで功を奏したかわからないけど。 それが、『CEREMONY』の時はちょっと違っていた。役者と演出家・大原渉平が、きちんと、対等な人間と人間として、クリエイターとクリエイターとして向き合えてた。お互いを尊重しつつ、疑いを悪い意味じゃなく持っていて、かつ信じ合えてもいて、どっかで切り捨てることもできてて、みんなで何かを創るために、お互い向き合っていた。

 

:ああ・・そうなんですね。

 

小杉:今回の『あゆみ』『TATAMI』では、お互いに対する懐疑心や疑いがないって意味ではなく、でも同じ方向を全員で向いているなと感じる。それがいいとか『CEREMONY』の時が悪いとかじゃなく、稽古場の態度の問題。ちゃんと全員で何かができるんじゃないかという方向に向かっていて、それが、単純に気持ちいい理由の一つかな、と思っているんよね。 向いている方向もさ、『あゆみ』『TATAMI』でちょっと違うやん。演出方針が。

 

:違いますね。

 

小杉:これは、大原さんが最近言ってる話だけど。『あゆみ』は、しようよでは、原作の『あゆみ』というテキストをある種ツールとして使っている。『あゆみ』というテキストで何ができるかじゃなくて、劇団しようよが『あゆみ』を使って何をやるかという方向になっていた。それが『あゆみ』の初演で、それをブラッシュアップしてるから今回の『あゆみ』もそういう稽古場になってると思うのだけど。・・『TATAMI』は、ちょっと違うやん。

 

:はい。

 

小杉:『TATAMI』を劇団しようよはどうよくできるか、みたいな。『TATAMI』でできることを素直に劇団しようよができるかをちゃんとやっている。 『あゆみ』は、『あゆみ』でできることを劇団しようよがしようじゃなく、劇団しようよがやりたいことに『あゆみ』を使おうという感じだけど、『TATAMI』に関しては、『TATAMI』ができること、『TATAMI』の能力を、劇団しようよの力でいかにちゃんと引き出してあげられるか、ということをやっている。『TATAMI』を活かそうとしているところがあって、『あゆみ』は、『あゆみ』が劇団しようよを活かそうとしてる。

 

:そうですねえ。

 

小杉:演出の方針が2つ違ってるのが、自分も向き合って楽しい壁やし。・・まあ結局楽しいってことだけど。観てても面白いと思う。 そんな中で、「しようよイズム」みたいなもの、さっき話した「小さな感傷」を大事にする視点とかは、変わらないってのが、不思議だなって思いながら、魅力なのだろうねそこがね。

 

— ありがとうございます。それでは、そろそろ稽古が始まる時間なので、戻りましょうか。

 

小杉:あ、もうそんな時間か。

 

:ありがとうございました。

 


 

本番迫った5月1日(月)。

稽古場にて、『TATAMI』出演者と、『TATAMI』の稽古にも参加してくれていた高橋紘介くんと、

この公演について、話しました。

 

 

 ◎劇団しようよに参加しての印象

 

脇内:北九州の飛ぶ劇場という劇団に参加しています、脇内圭介です。劇団しようよは、しようよの公演が北九州に来た時に観に行って、それで知りました。その時に、この間京都にも来ていた、劇団ブルーエゴナクの、穴迫信一くんという、作演出も役者もするんですけど、その彼が客演で出ていて、そういうのもあって観に行ってみて、面白かったという。それが最初ですね。

 

高橋:何年くらい前?

 

脇内:・・5年前くらいかな?(※2012年11月『スーホの白い馬みたいに。』初演) そこから、何か、渉ちゃんとは交流があった。で、去年はブルーエゴナクの短編や本公演で京都に2〜3回来させてもらっていて。

 

門脇:アトリエ劇研でやったやつ?

 

脇内:そう。それと、去年は2人芝居でKAIKAに来させてもらってですね(※田原工業高校『二万七千光年の旅』)。その時には逆に、渉ちゃんにゲストとして出てもらった。そういうのもあって、声をかけてもらったという感じ。で、今ここにいます。

 

高橋:今、参加してみてどうでしたか?

 

脇内:稽古場も新鮮ですし、共演者の方もみんな初共演なので、むちゃくちゃ新鮮だし、むちゃくちゃ刺激的な現場だなと思っています。北九州にずっといると、ほとんどみんな共演したことある人ばかりで。役者の分母も少ないので、だんだんと刺激がなくなっていってる・・そんなに実感はなかったけど、そういう部分があって。ここに来ると今までになかったタイプの役者さんがいらっしゃるし、自分にとってはとてもいい環境だなと思って、今、稽古をしています。

 

高橋:劇団しようよの作品は、『スーホ』しか観たことなかったんですか?

 

脇内:『スーホ』しかない。

 

高橋:(それを観た時は)どうだったんですか?

 

脇内:『スーホ』は、面白かったですね。本当に何か不思議だし、キラキラしてるし。何かやっぱり、北九州にはない作品だなと思った。暗い部分が、根底には流れているけど、表面上すごいキラキラしていて。北九州の作品って暗い作品が多いというか。自分がやってるやつも暗いやつだったりするんですけど(※脇内くんは、所属する「飛ぶ劇場」の他に「ワンチャンあるで!」というユニットをやっている)。劇団しようよは、何かすごいキラキラして見えて、良かったな・・という印象がありました。

 

高橋:で、今回、オファーがあって・・?

 

脇内:めちゃ嬉しかったですね。(大原くんは)前から「ワッキー呼びたいねん」って言ってくれてて。でもなかなか、京都だし、こっちは北九州だし、まさか本当に呼んでもらえるとは思わなくて。

 

藤原:今、どこに住んでるの?

 

脇内:今、ゲストハウスにいます。出町柳の。

 

高橋:昨日は、外国人がうるさくて寝れなかったという・・。

 

脇内:そう(笑)。昨日は2時くらいまで隣の部屋の人が喋ってて。

 

藤原:観光客?

 

脇内:そうです。気になって仕方なくて。多分今日までいると思います。明日からは大丈夫(笑)。

 

門脇:観光に来たら楽しくなっちゃうもんね。

 

紙本:まあね。

 

脇内:修学旅行の時とか、寝なかったですもんねそれは。

 

高橋:藤原さんは、しようよの作品を観たことあったんですか?

 

藤原:ないですね。初めて。名前はよく聞くなあと思ってたんですよ。そしたら声をかけてもらって。じゃあ出ましょうかって感じですね。観たことなかったですね。

 

高橋:どんな印象でした?

 

紙本:何か観たんですか?映像とか。それも何も観ずに?

 

藤原:映像いただいたんですけどね、観れてないです。

 

一同:(笑)

 

藤原:ちょっとね、諸々、家で忙しくてね。

 

紙本:お子さんもいらっしゃいますしね。

 

藤原:家にいる時が一番忙しい。

 

紙本:みんな言いますよね、家庭のある人は。休みの日が疲れるってよく聞きます。

 

藤原:家から出る時に戦線離脱する気持ちになる。仕事へ行く時の方が、気分は休憩。でも実際は休憩じゃないからねえ。

 

紙本:そりゃそうですね。疲れてますよね。

 

高橋:(お子さんは)今おいくつですか・・?

 

藤原:今、3歳と1歳。マジでほんまに夜寝る時とか、お布団に入った瞬間、寝てるというより気絶やで。それはまあ、僕は、子どもができる前からそうだったんですけどね。・・まあ、そんな感じの劇団しようよですねえ。

 

一同:(笑)

 

紙本:1ミリもしようよの話してない・・。稽古場はどうですか?

 

藤原:どうでしょうかねえ・・。作品の性質もあるからかもしれないけど、割とドライにやるんやなあって思ったなあ。今、大原くんって何歳?

 

門脇:・・28、ですかね。

 

藤原:自分がそのくらいの時は、もっとムキになってやったと言うか、もっと段取りが悪かった気がするんですけど。今見てると、ドライに作品に当たりながらやるなあという印象があります。もっと無駄に力入るかなあと思うんですけど。僕は昔はそうだったし、今でもそうだけど。そういうところがあまり感じられない。もしかしたら、作品によったら違うことになるのかもしれないけど、印象としてそう感じます。まあ、僕はやりやすいのは、やりやすいです。一緒にやってて。

 

高橋:『TATAMI』は特にそんな感じがしますね。

 

藤原:あ、やっぱり・・?

 

高橋:『あゆみ』も、今回は再演ということもあって、そんな印象あるんですけど。『あゆみ』の初演の時とか、去年やった本公演の時は、もっとジタバタしてた。今回は決まってることを組み立てていくというか、そのスピードが早いというか。そんな感じをすごく受けますね。

 

藤原:僕が28くらいの時って言ったら、あの頃関わってた芝居では、できてへんシーンがボコボコあって、夜中に市役所の前で踊りの練習させられて、でも本番の前の日にその踊りは全部カットになって・・。何やねんな!・・みたいなことになってたもんな。

 

一同:(笑)

 

藤原:でも(当時は)割とそれが普通やったから、大変やなあと思いながらもそういうもんやなと思ってやってた。だからそれに比べたら、随分とすっきりと物事が進んで行っている。

 

高橋:紙本さんは、その、ジタバタしてた去年の本公演と比べて、今回、どうですか? (※紙本さんは昨年の『こっちを向いて、みどり』に引き続き、2度目の劇団しようよへの出演です。)

 

紙本:うーん。でも、確かにドライっていうか、クールだなあ。落ち着いて創ろうという感じがしていますね。自分で作品(脚本)を書いてないから、葛藤がなさそう。自分の身を削る感がないので、その辺で落ち着いている感じがするかな。あと、劇団員が稽古場にいないので、そこもちょっと違うんじゃないかな。緊張感を持ってはるというか。劇団員がいると、代表の風を吹かすじゃないですか。それがない。お客さんと一緒に緊張感を持ってるというか、甘えみたいなのがない。そんな感じがします。

 

高橋:確かに今回、どっちの現場もいないですね。

 

紙本:劇団員がいないのも大きい気がしますね。

 

藤原:劇団員が、いないの?僕ちょっとよくわかってないんですよ。どっからどこまでが劇団員で、どこからどこまでが違うのか。

 

門脇:劇団員の人はいる(存在する)けど、今回は出ていない。

 

紙本:今回の出演者にはしようよの人はいない。

 

高橋:(部屋を見回して)この中で劇団員は、徳泉くんだけです。

 

藤原:ああ。そうなんだ。なるほど。

 

門脇:彼も入ったばっかりで・・。制作として。

 

藤原:しようよは、劇団員は何人いるの?

 

紙本:あと、役者さんが二人と・・。

 

高橋:あ、吉見さん。そうだ、吉見さんは(『あゆみ』に)出てるな。

 

藤原:5人?

 

高橋:それと、休団中の人がもう一人いて、6人ですね。

 

藤原:そうか、なるほど・・。

 

門脇:この公演は、位置付けがちょっと番外公演的なものなんですね。本公演とは違って。アトリエ劇研の創造サポートカンパニーになって、3年間は、こういう、別の作家さんの作品をやるという企画をやってるんですね。

 

高橋:自分の作品ではなく、他人の作品をリミックスしてやるという。その中で、『TATAMI』は一番、大原さんが手を加えてる部分が少ないですよね。そのままやってますよね。『あゆみ』はそれなりに、順番を入れ替えたりとか新しく書き足したりとかしているけど。

 

門脇:使わないシーンもいっぱいあったりね。

 


 

◎『TATAMI』という作品について

 

紙本:どっちの稽古場にも関わってる門脇くんは、どうなんですか?『TATAMI』について。『あゆみ』との違いは?

 

門脇:『あゆみ』との違い・・。あんまりそういうのわからない・・。

 

紙本:ああ、特にない!?

 

藤原:何か言えや・・。ネタが要るんやで(笑)。

 

高橋:『TATAMI』の方が落ち着いてますよね。

 

門脇:『あゆみ』は、役者も多くて男ばっかりだから、賑やかです。男子校っぽい。僕は男子校行ったことないですけど。ワイワイしてる。

 

藤原:同じ作家さんの本なんやんね?

 

門脇:そうです。

 

高橋:この中で、劇団しようよの『あゆみ』を知ってらっしゃるのは、紙本さんだけ・・?

 

紙本:私は、初演のゲネを観た。

 

藤原:そっち(『あゆみ』)は再演なん?

 

高橋:そうです。2年前にやったものの再演で。こっち(『TATAMI』)は新作。

 

門脇:『あゆみ』はアトリエ劇研での1年目にやった作品で、そこから何名か役者さんを変えて、演出はほぼ変えずに、今回再演しています。

 

藤原:門脇くんは、その時も出てたん?

 

門脇:出てました。

 

藤原:なるほど。1回やってるから、そっちはチョロいんやな。

 

門脇:そうですね。チョロいっすね。

 

一同:(笑)

 

門脇:・・チョロくない、全然チョロくないですけど。土台があって、じっくりやれる、という感じですね。

 

脇内:北九州で芝居やってる感じと、今回大原くんとやってて、違う点があって。渉ちゃんは、今回、別の人の台本だからというのもあるんだろうけど、どういうシーンなのだろうかという、解釈をみんなに聞いてくれる。作品のことを考える時間が稽古の中にあるのが、自分にとって新しくて。あんまりこれまでやらなかったことで、その辺が今、面白い。一緒に解釈しながら進められるので、作品の中の人物としてどうあろうかみたいなのは、結構考えられていいなあって思ったりはしますね。(京都では)他の現場でも、そういう、台本解釈的なこととか、稽古場で話し合ったりします?

 

藤原:ケースバイケース・・ですね。客演で、例えばこういう初めてのとこへ来て、そういう話をするようなことには、まああまりならないかな。

 

脇内:ああ・・。

 

藤原:僕は言い方があまり良くないから。僕言い出すと「そんなん、あかんやん」から始まってしまうから(笑)。なかなか、慣れてる人やないと難しいかな。逆に自分の劇団やったら、作家もここにいて、持ってきた台本を、「あかんやん」ってよく言う。

 

一同:(笑)

 

紙本:どうだろう・・。私は、既存の戯曲をあんまりやらないけど。作家がいて一緒にやることが多くて。作家がとりあえず書いて来たというやつを、みんなで見て、なぜ面白くないのか、とか、会話の構造的にこうなんじゃない?みたいな話は、たまに私はしたりしますけどね。でもやっぱり、こんなに大原くんがわからないまま持ってくるんだ・・という感じは、新鮮でしたね。そんなに決めてなかったんだ!みたいな。

 

脇内:確かに最初は、そんな感じはしましたね。

 

紙本:最初の頃は、むしろ、”劇研をたたむ”(アトリエ劇研が閉館する)ということと、この『TATAMI』という作品を、重ねていくという、やりたいコンセプトを持っていた(ように見えた)のに、稽古をしていくうちに、シーンのこの意味がわからないんだとか、このシーンはどうやったらいいかわからない、というようなことが、よく出てきて。ああ、最初の熱意のまま突き進んでないんだ!あれとこれは別なのね!と思うことがあった。

 

藤原:”劇研をたたむ” というコンセプトだったんですね。

 

紙本:そうなんです。

 

藤原:それはすごいですね。

 

紙本:劇研がクローズしていくのと、人生をクローズしていくのとを、重ねて考えたい、みたいなことがあったんですよね。でも、シーンによって、そのイメージと合わない部分があるというか。私たちもそういえばこのシーンわからないなあっていうところもあって。でも、昨日はそういう話し合いを1時間くらいしたら、グッと進みましたね。

 

門脇:進みましたね。考えたらわかるんだなという結論に至った。

 

藤原:何をしてたのかねそれは。(※この前日は藤原さんは稽古欠席でした。)

 

紙本:みんなで考えたらできるんだ、みたいな。

 

門脇:(大原くんが)悩んで、稽古場に持ってきて、みんなで考えた。

 

紙本:答えを出したわけじゃなかったんやね。これわからん、それもわからんと言いながら、やって見たら、あ、なんとなく見えて来たな・・て。

 

門脇:こっちの方向でいいんだなって。

 

藤原:良かったですねえ。

 

脇内:進んだ気がします。

 

紙本:何か、単純にやったら、面白くないなあっていう感じになってたりしてません?今回の台本。

 

藤原:いや僕は感動的だと思ってますよ。

 

紙本:本当ですか。いや、(最初に)読んだ時は、ああ・・いい本だなあ・・て思ったんですよ。でも役者がやると、何か退屈だなあ・・て。戯曲として成立しすぎてるのかなあ?・・というような感じがあって、難しい。

 

藤原:でも、まあ、そういうので言うと。それは演出家が考えればいいことやねんけど。例えば僕が演じる時に、これやったらお客さんが退屈するやろなって思ったとしたって、なるべく、それを恐れずに退屈させよう、と思うのは思うんですよね。それでいいのかなと思ってる。

 

紙本:ああ、わかりますわかります。

 

藤原:いい本だと思いますよ。・・だって、そんな。今から老人が自分のことを始末しようとしてる話なんだから、そりゃ退屈やって。それがやたら面白かったらおかしい。

 

紙本:そりゃそうですね。劇的なシーンが続くと、嘘やねそれは。

 

脇内:確かにそうですね。

 

藤原:僕は、自分に息子が2人いるんでね、それもあってか、そういうのも考えますよ。僕は子どもができるのが遅かったから、子どもが20歳の時に還暦や。だから、こういうことをすでに想定してるんだよね。だから感動的やなあって思う・・。

 

門脇:僕は父親が今、72歳で。そっちがリアルですね。子どもはいないけど息子としての立場で。

 

藤原:もちろん、俺もまだ親父が生きているから、そういう部分もありますね。

 

高橋:そうですね。観客の人も観る人によって、(感じることの違いが)あるんじゃないですかね。

 

門脇:全然違うやろね。

 

紙本:うち、両親が観に来るんです。お父さん、どう思うかなあ・・。

 

門脇:父親には観て欲しい気はありますね。でもまあ、(住んでいるのが)北海道だからね。

 


 

◎父親との関係

 

藤原:お父さんと将棋をさしたことありますか?

 

門脇:ないですねえ。

 

脇内:僕あります。

 

藤原:僕はあるんですけど、親父に勝ったことが一回もない。勝てるくらいの年齢になった時には、もうやらなかったんだと思うんですけど。

 

脇内:お父さんもあんまりやったことない人だったので、お互い、初挑戦で楽しんでました。

 

藤原:それは楽しいね。

 

紙本:何か、『TATAMI』は、藤原さんの(ための)脚本、みたいですね。

 

藤原:そうですか。

 

紙本:なんか重なるところが・・。

 

藤原:そうですね。息子が演劇やってる、とか。

 

紙本:私は娘なんで。まず、「娘」なんでねえ。

 

脇内:確かに、違いますよね。息子からお父さんを見るのと、娘からお父さんを見るのと。

 

高橋:全然違うでしょうね。

 

紙本:何のコンプレックスもないですしね、父親に対して。全くない。

 

藤原:親父に対して? コンプレックス? それは、そんなにないかなあ。

 

門脇:僕も特にないなあ。

 

紙本:大原くんはあるっぽいですけどね。素直になれない、的な。

 

高橋:大原さんの父親の話って、『TATAMI』の現場ではあんまり出ないですよね。

 

紙本:そうですね。『みどり』の時はしてましたけどね。

 

高橋:『TATAMI』は、リミックスしてる、大原流にしてる要素が、僕が関わった現場の中でも一番少ない。結構毎回そういう(家族に関する)話をするなあって思っていたんですけど。『あゆみ』は、大原さんが、自分は娘が欲しい、娘の父親になりたいって常々言ってるから、そういう、自分が父親になった時の娘に対する視点で創っているんだろうなあって思うんです。『TATAMI』は、逆なのかなあ・・とちょっと思ってたんですけど。息子として父親を見てるのかなって。

 

藤原:そうでしょうなあ。

 

高橋:どう思ってるのでしょうね、『TATAMI』に。大原さんは。

 

紙本:お父さんのこととか思い出さないのかな。あんまりそういえば言わない。

 

脇内:最初の頃はちらっと聞いたような・・。

 

紙本:あんまり自分とお父さんのこと言わないですねそういえば。

 

脇内:僕はどっちかと言うと、父親をリスペクトしてるというか、すげえなって思ってる方なんで。父親に対して負の感情はほぼないですね。うちの父親は、極真空手をやってたらしくて、家にヌンチャクがあったんです。で、庭に、季節になったらスズメバチが来るんで、それをヌンチャクでバーンて殺すんです。

 

紙本:えー!

 

脇内:毎年の風物詩でした。

 

藤原:それはすごいなあ。

 

脇内:父親、すげえなあって・・いつも思ってました。

 

高橋:少年時代にその父親を見たら、そりゃ憧れるわ。

 

紙本:そりゃリスペクトするわ。

 

脇内:そんな父親です。

 

高橋:・・ではそろそろ時間ですね。

 

門脇:あと、残り1週間ですが、頑張っていきましょう。

 

紙本:(マイクに向かって)お楽しみにー。